海野清とは? わかりやすく解説

うんの‐きよし【海野清】

読み方:うんのきよし

[1884〜1956]彫金家東京生まれ東京芸大教授。勝珉(しょうみん)の子日本の伝統技法西洋題材造形融合させて創作行った


海野清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 00:07 UTC 版)

海野清

海野 清(うんの きよし、1884年明治17年〉11月8日 - 1956年昭和31年〉7月10日)は、工芸家彫金[1]日本芸術院会員[1][注釈 1]人間国宝[2]

全日本工芸美術家協会会長、日本彫金家会会長、日本美術刀剣会常任審査員などを兼任し、彫金界の長老として長年に渡り要職を務めた[1]

来歴

海野勝珉の三男として東京に生まれる[1]1911年明治44年)、東京美術学校金工科卒[1][注釈 2]。父[2]および加納夏雄[3]に師事。1919年大正8年)母校東京美術学校助教授、1928年昭和3年)、帝展特選、1929年(昭和4年)から帝展、新文展審査員を務める[1]

1932年(昭和7年)母校教授に就任、のち同校在外研究員としてフランス留学し1934年(昭和9年)、帰国。1943年(昭和18年)、勲三等瑞宝章受章[1]

1947年(昭和22年)、帝国芸術院(同年、日本芸術院)会員、1949年(昭和24年)、東京芸術大学教授、日展運営会常任理事、1955年(昭和30年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定[1]

1956年(昭和31年)7月10日東大病院で死去[1]。71歳没[1]

脚注

脚注
  1. ^ 文化財専門審議会専門委員[1]
  2. ^ 父の勝珉が金工科教授だった[2]
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「海野清」(2021年12月10日)、2022年5月3日閲覧。
  2. ^ a b c 海野清」『小学館 日本大百科全書 ニッポニカhttps://kotobank.jp/word/%E6%B5%B7%E9%87%8E%E6%B8%85コトバンクより2022年5月3日閲覧 
  3. ^ 海野清 うんの-きよし」『講談社 デジタル版日本人名大辞典』https://kotobank.jp/word/%E6%B5%B7%E9%87%8E%E6%B8%85コトバンクより2022年5月3日閲覧 

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