跡見学園女子大学とは? わかりやすく解説

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あとみがくえん‐じょしだいがく〔あとみガクヱンヂヨシダイガク〕【跡見学園女子大学】

読み方:あとみがくえんじょしだいがく

埼玉県新座(にいざ)市などにある私立大学昭和40年(1965)に開学した。明治8年(1875)開学日本人創設の最も古い女子教育機関、「跡見学校以来伝統を誇る。


跡見学園女子大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/04 04:11 UTC 版)

跡見学園女子大学
文京キャンパス2号館
大学設置 1965年
創立 1875年
学校種別 私立
設置者 学校法人跡見学園
本部所在地 東京都文京区大塚1-5-2
北緯35度43分00.40秒 東経139度44分05.40秒 / 北緯35.7167778度 東経139.7348333度 / 35.7167778; 139.7348333座標: 北緯35度43分00.40秒 東経139度44分05.40秒 / 北緯35.7167778度 東経139.7348333度 / 35.7167778; 139.7348333
キャンパス 文京キャンパス(茗荷谷)
新座キャンパス
学部 文学部
マネジメント学部
観光コミュニティ学部
心理学部
研究科 人文科学研究科
マネジメント研究科
ウェブサイト http://www.atomi.ac.jp/univ/
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跡見学園女子大学(あとみがくえんじょしだいがく、英語: Atomi University)は、東京都文京区大塚1-5-2に本部を置く日本私立大学1875年創立、1965年大学設置。大学の略称は「跡見」もしくは「跡見女子大」。前身は1875年、跡見花蹊によって設立された私立跡見学校(のち跡見女学校と改称)であり、日本人によって設立された私立女子教育機関としては最も古い歴史を持つ[1]。漫画「はいからさんが通る」の主人公の通う学校(跡無女学館)のモデルでもある[2]

沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[3][4][5][6][7]

1875年に跡見花蹊によって設立された跡見学校(跡見女学校)に淵源を有する。同校はもと、大阪中之島に花蹊の父、跡見重敬が開設していた私塾「跡見塾」に端を発し、1859年、重敬が姉小路家に仕えることになったために、娘の花蹊が経営することになった。この塾は以後7年間続いたが、その後花蹊は父のもとに赴くためこの塾を閉鎖し、京都東洞院二条上ルに土地を得て塾を新築した。その後、1870年、姉小路家が東京に移住したのにともない、跡見家も一家をあげて東上、神田三崎町1丁目1番地の姉小路邸の一部を借りて、新たに塾を開いた。この頃は女子のみならず男子も学んでいた。 その後、花蹊は皇室・宮中からしばしばお召しがあり、また上流階級の子女の教育を求める声が多かったことから、1875年1月、神田中猿楽町13番地に新校舎を入手し、跡見学校を設立する。この年が現在、跡見学園の公式的な創立年となっている。

創設者の花蹊が、明治天皇皇后昭憲皇太后)・皇太后英照皇太后)や華族との関係が深かったため、華族女学校女子学習院の前身)が設立される以前は、皇族・華族の教育を跡見学校が担っており、その後も多くの名家の女子が跡見女学校に学んだ。大和和紀の漫画「はいからさんが通る」の主人公の花村紅緒が通う学校も跡見女学校がモデルとなっている。また、開校当時、皇后の内意に基づき、紫袴を生徒に着用させた。この紫袴は世の注目を引き、のち他の女学校にも影響を与えた。明治・大正の女学校のイメージとして定着する女袴は跡見学園に淵源を有する[8]。のちに華族女学校が海老茶色の袴を着用するようになると華族女学校の「海老茶式部」に対して、跡見女学校は「紫衛門」(赤染衛門からの連想)と呼ばれ、上流階級の通う学校として並び称された。

跡見女学校は1944年に跡見高等女学校に改組され、その後第二次大戦後の新学制のもと跡見学園に再編されたが、そのうちの専攻科がのちに女子短期大学・女子大学へとつながっていく。大学創設当初、早稲田大学東京帝国大学出身者が多くかかわったことから、両大学出身の教員が多く、特に授業時限は当時の早稲田大学と全く同じ時間帯となっていた。

女子軟式野球部は強豪として知られており、全国大会への出場回数最多を誇る。1978年に跡見学園女子短期大学に誕生した女子野球同好会「エラーズ」は日本最初の女子大学野球部であり、その翌年同女子大学に設立された「バイオレッツ」(跡見女学校の紫袴に由来)が現在の跡見学園女子大学野球部の淵源となっている[9]

新座キャンパスはの名所としても知られており、2016年に日本経済新聞が作成した「一度は歩いてみたい国内大学の桜名所」でランキング1位となった[10]。毎年春には「桜まつり」が開催され、構内が一般に開放され、花見ができるようになる。

年表

跡見花蹊
  • 1859年 : 跡見花蹊が、大阪・中之島にあった父の私塾を受け継ぎ、教育活動を開始する。
  • 1866年 : 私塾を京都・東洞院二条に移転。
  • 1870年 : 花蹊、父と共に東京に移転、神田三崎町の姉小路邸内に私塾を開く。
  • 1875年 : 東京・神田猿楽町に「跡見学校」を創設[11]。ほどなく校名を跡見女学校と変更。
  • 1913年 : 「財団法人跡見女学校」となる
  • 1944年 : 跡見女学校を廃し「跡見高等女学校」となる
  • 1946年 : 「跡見高等女学校専攻科」を設置
  • 1951年 : 「学校法人跡見学園」となる
  • 1965年 : 埼玉県新座市に「跡見学園女子大学」開学、文学部国文学科・美学美術史学科の2学科を設置
  • 1967年 : 文学部に英文学科を増設
  • 1974年 : 文学部に文化学科を増設
  • 2002年 : 文学部に人文学科・臨床心理学科を開設、マネジメント学部マネジメント学科を新設
  • 2005年 : 大学院人文科学研究科を開設、日本文化専攻・臨床心理学専攻を設置
  • 2006年 : 文学部にコミュニケーション文化学科を、マネジメント学部に生活環境マネジメント学科を開設。大学院にマネジメント研究科を開設、マネジメント専攻を設置
  • 2008年 : 跡見学園女子大学短期大学部閉学に伴い、同地に女子大学の文京キャンパス(茗荷谷)を開設
  • 2010年 : 文学部に現代文化表現学科を、マネジメント学部に観光マネジメント学科を開設
  • 2015年 : 観光コミュニティ学部観光デザイン学科・コミュニティデザイン学科を開設
  • 2018年 : 文学部臨床心理学科の募集を停止し、心理学部臨床心理学科を開設

基礎データ

大学バス
左上のグラウンド等を擁する施設が新座キャンパス。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

所在地

教育および研究

学部

大学院

附属機関

  • 附属図書館
  • 花蹊記念資料館
  • 情報メディアセンター
  • 心理教育相談所
  • 旧伊勢屋質店(菊坂跡見塾):樋口一葉が間借りして住んでいた質店。2015年に学校法人跡見学園が取得・保存。

学生生活

新座キャンパスグランド

学園祭

学園祭は「紫祭」(ゆかりさい[12])の名称で行われており、これは跡見女学校時代の紫袴に由来する名称である。「紫」を「ゆかり」と呼ぶのは、『古今集』の 「紫の一本ゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」にもとづいた、「紫のゆかり」という成語によるもの。紫祭は毎年10月下旬から11月上旬の土日に新座キャンパスで開催され、2017年で50回目を迎えた。紫祭は、有志の学生からなる紫祭実行委員会(学生会に属する)によって自主的に企画運営され、大学側も全面的にサポートする形で行われている[12]

学内奨学金

  • 跡見花蹊記念奨学金
  • 跡見校友会一紫会大学院奨学金
  • 跡見学園女子大学後援会修学援助奨学金
  • 跡見校友会一紫会修学援助奨学金

著名な出身者

文学部

マネジメント学部

  • 児玉理恵(アナウンサー、マネジメント学部を経て研究科マネジメント専攻)

著名な教員

過去に在籍した著名な教員

  • 大高保二郎(元教授、早稲田大学名誉教授、美術史学)
  • 大和田建樹(旧制跡見女学校教員、国文学)
  • 落合直文(旧制跡見女学校教員、国文学)
  • 蒲生重章(旧制跡見女学校教員、漢学)
  • 川本隆史(元教授、東京大学名誉教授、倫理学)
  • 神野藤昭夫(名誉教授、国文学)
  • 久保貞次郎(元短期大学学長)
  • 佐佐木幸綱(元図書館長、早稲田大学名誉教授、歌人、国文学)
  • 志賀重昂(旧制跡見女学校教員、地理学)
  • 鈴木幸夫(旧短期大学部学長、早稲田大学名誉教授、英文学)
  • 杉勇(元教授、東京教育大学名誉教授、西洋史学)
  • 谷脇理史(元助教授、元早稲田大学教授、日本文学)
  • 丹尾安典(元専任講師、早稲田大学教授、美術史学)
  • 中島俊子(旧制跡見女学校教員、女性運動家)
  • 中島徳蔵(旧制跡見女学校教員、哲学・倫理学)
  • 萩原恭平(元客員教授、早稲田大学名誉教授、ロンドン大学客員教授、英文学)
  • 原富太郎(旧制跡見女学校助教諭、のち実業家)
  • 与謝野鉄幹(旧制跡見女学校教員、文学)
  • 柳田泉(元文学部長、早稲田大学名誉教授、文学)
  • 渡辺重石丸(旧制跡見女学校教員、国学)
  • 中林美恵子(元准教授、早稲田大学教授、元衆議院議員、元米議会上院予算委員会補佐官、政治学)
  • 和田英道(元学長、元教授、国文学)

脚注

  1. ^ 太田英隆編『男女学校評判記』(明治教育会、1909年)72頁。
  2. ^ 別冊宝島編集部『はいからさんが通るの世界』(宝島社、2017年)99頁。
  3. ^ 跡見学園女子大学の沿革”. 跡見学園女子大学. 2019年3月14日閲覧。
  4. ^ 学園沿革〜年表〜”. 跡見学園女子大学. 2019年3月14日閲覧。
  5. ^ 明治期〜大正・昭和初期”. 跡見学園女子大学. 2019年3月14日閲覧。
  6. ^ 戦後の復興〜そして現在へ”. 跡見学園女子大学. 2019年3月14日閲覧。
  7. ^ 跡見学園女子大学短期大学部の沿革”. 跡見学園女子大学. 2019年3月14日閲覧。
  8. ^ 『跡見学園90年』(跡見学園、1965年)。
  9. ^ 大学女子野球の扉を開いた跡見学園チーム
  10. ^ 一度は歩いてみたい国内大学の桜名所
  11. ^ 理念・建学の精神”. 跡見学園女子大学 (2020年7月6日). 2024年10月3日閲覧。
  12. ^ a b 跡見学園女子大学"紫祭|跡見学園女子大学"

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