長田銈太郎
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長田 銈太郎(おさだ けいたろう、嘉永2年7月27日(1849年9月13日) - 明治22年(1889年)3月31日)は、幕末期の幕臣、明治期の外交官・官僚。幕末期に江戸幕府の通訳を務め、開成所(東京大学の源流)の頭取に就任した[1]。明治維新後は新政府に招かれて外交官となり、フランス・ロシアに赴任。帰国後は宮内省に移り、宮内権大書記官兼太政官権大書記官、式部官を務め、明治天皇の通訳を担当した[1]。満39歳没。改名前の名前は、銈之助。
- ^ a b c d 「長田銈太郎」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社、2015年
- ^ a b c d 幕臣博物学者鶴田清次とその資料樋口雄彦、国立歴史民俗博物館研究報告/Bulletin of the National Museum of Japanese History,183,319-362 (2014-03-31)
- ^ a b c 今野喜和人 「長田秋濤訳『椿姫』における恋愛表現をめぐって」序文、静岡大学、2011年
- ^ 東京大学総合研究博物館 「維新とフランス - 日仏学術交流の黎明」展 ウロボロス Volume13 Number3
- ^ 静岡県立中央図書館 「静岡学問所」
- ^ 静岡県立中央図書館 「静岡学問所之碑」~明治初期の最高学府~
- ^ 『官報』第570号「賞勲叙任」1885年5月28日。
- ^ 水産講習所出身企業家の企業家活動研究 : 高碕達之助・國司浩助・中島董一郎を事例として島津惇子、法政大学博士論文、2014-09-15
- ^ 関屋貞三郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- 1 長田銈太郎とは
- 2 長田銈太郎の概要
- 3 参考文献
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