武部文
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武部文
たけべ ぶん
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生年月日 | 1920年(大正9年)10月7日 |
出生地 | ![]() |
没年月日 | 2004年4月18日(83歳没) |
出身校 | 鳥取県立米子商蚕学校商業科卒業 |
前職 | 鳥取県総評議長 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 | 旭日重光章 |
選挙区 | 鳥取県全県区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1967年1月29日 - 1972年11月13日 1976年12月10日 - 1986年6月2日 1990年2月18日 - 1993年6月18日 |
武部 文(たけべ ぶん、1920年(大正9年)10月7日[1] - 2001年(平成13年)4月24日[1])は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(7期)。
来歴
鳥取県米子市出身[1]。1938年(昭和13年)鳥取県立米子商蚕学校(現鳥取県立米子南高等学校)商業科卒[1][2]。1945年(昭和20年)米子郵便局に入局[1][2]。1955年(昭和30年)鳥取県総評議長に就任し10期務めた[1][2]。
1963年(昭和38年)第31回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区から日本社会党公認で出馬し次点で落選[3]。1967年(昭和42年)第31回総選挙で初当選[4]。1986年(昭和61年)の第38回総選挙で落選[4]。1990年(平成2年)第39回総選挙で復帰[5]。1993年(平成5年)第40回総選挙に出馬せず[5]引退した[1]。衆議院議員は通算7期務めた[1][2]。2001年死去。
栄典
選挙歴
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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落 | 第30回衆議院議員総選挙 | 1963年11月21日 | 43 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 5万937票 | 17.3% | 4 | 5/6 | / |
当 | 第31回衆議院議員総選挙 | 1967年 1月29日 | 46 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 6万4002票 | 21.7% | 4 | 1/6 | / |
当 | 第32回衆議院議員総選挙 | 1969年12月27日 | 49 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 4万3798票 | 13.7% | 4 | 4/8 | / |
落 | 第33回衆議院議員総選挙 | 1972年12月10日 | 52 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 4万9106票 | 14.6% | 4 | 5/7 | / |
当 | 第34回衆議院議員総選挙 | 1976年12月 5日 | 56 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 5万3990票 | 14.7% | 4 | 3/9 | / |
当 | 第35回衆議院議員総選挙 | 1979年10月 7日 | 59 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 5万7575票 | 16.0% | 4 | 4/8 | / |
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 6月22日 | 59 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 6万3735票 | 17.8% | 4 | 3/7 | / |
当 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 63 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 6万7603票 | 19.1% | 4 | 2/7 | / |
落 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 7月 6日 | 65 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 4万6917票 | 12.3% | 4 | 6/8 | / |
当 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 7月 6日 | 69 | 鳥取県全県区 | 日本社会党 | 7万5112票 | 19.7% | 4 | 3/8 | / |
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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