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青柳高一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 07:41 UTC 版)

青柳 高一
あおやぎ たかいち
生年月日 (1913-02-20) 1913年2月20日
出生地 埼玉県児玉郡若泉村大字下阿久原
没年月日 (1976-07-24) 1976年7月24日(63歳没)
所属政党 日本進歩党→)
日本民主党→)
(無所属/民主クラブ→)
民主自由党
選挙区 旧埼玉3区
当選回数 1回
在任期間 1947年5月25日 - 1948年12月23日
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青柳 高一(あおやぎ たかいち[1]1913年大正2年)2月20日[2] - 1976年昭和51年)7月24日[1])は、日本の政治家衆議院議員

来歴

埼玉県[1]児玉郡若泉村大字下阿久原[3]阿久原村神泉村を経て現神川町大字下阿久原)出身。東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)卒[1][2]1934年(昭和9年)、青柳製作所を創立、社長となり[2]、このほか関東産業、群馬工業、帝国車輛工業、日本化成工業、大建工業各(株)取締役社長となる[1]

戦後1947年(昭和22年)、第23回衆議院議員総選挙埼玉県第3区から立候補し当選した。日本進歩党民主党民主自由党自由党に所属した。埼玉3区では荒舩清十郎らと競った。衆議院鉱工業委員会委員、衆議院鉱工業委員会理事、衆議院災害地対策特別委員会委員、衆議院労働委員会理事、衆議院商工委員会委員、衆議院水害地対策特別委員会理事などを務めた。1948年(昭和23年)11月12日の衆議院災害地対策特別委員会では、委員として出席。椎熊三郎を委員長に推挙する動議を提出した[4]

脚注

  1. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』12頁。
  2. ^ a b c 『大衆人事録』第19版、東日本篇、10頁。
  3. ^ 『埼玉人物事典』5頁。
  4. ^ 衆議院会議録

参考文献

  • 「ペン偽らず 本庄事件」(朝日新聞浦和支局同人、昭和24年)
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 『大衆人事録』第19版、東日本篇、帝国秘密探偵社、1956年。

関連項目

外部リンク




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