森菊蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/09 07:52 UTC 版)
森 菊蔵 もり きくぞう | |
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別名 | 槍 一之[1] |
生誕 | 1927年5月4日[2] |
出身地 |
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死没 | 1997年1月21日(69歳没)[3] |
学歴 | 慶應義塾大学 卒業 |
ジャンル | 市町村歌、音頭 |
職業 |
詩人 作詞家 ラジオパーソナリティ |
活動期間 | 昭和・平成時代 |
事務所 | 株式会社東京企画 |
共同作業者 | 狛林正一 |
森 菊蔵(もり きくぞう、1927年5月4日[2] - 1997年1月21日[3])は昭和・平成期日本の詩人、作詞家、ラジオパーソナリティ。日本詩人クラブ会員。
別名義に槍 一之(やり かずゆき)がある[1]。
来歴
群馬県桐生市出身[2]。旧制桐生中学校を経て、慶應義塾大学在学中より地元の群馬2区選出であった衆議院議員・長谷川四郎の秘書を務める[1]。福田正夫の知遇を得て主観社文学会へ入会し、後に『日本詩壇』復刊へ参加した[4]。1955年(昭和30年)、詩集『背後』を刊行。
詩人として活動する傍ら日本抵抗器工業振興会事務局長やNETテレビ番組企画委員を務め、1965年(昭和40年)に株式会社東京企画を設立して以降はいわゆる「代議士ソング」や市町村歌、音頭の企画を精力的に売り込んでいた。1968年(昭和43年)、第8回参院選に全国区から無所属で立候補したが落選。
ニッポン放送で1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)にかけて「森菊蔵ショウ」「森菊蔵の早起きおじさん」のパーソナリティを務めている。
1997年(平成9年)1月21日死去[3]。享年71(満69歳没)。
主な作品
注記のない場合は本名。
詩集
- 背後(光線書房、1955年) NDLJP:1354944
- 風韻(土曜美術社出版販売、1994年) ISBN 4-8120-0523-X
- 青春(土曜美術社出版販売、1995年) ISBN 4-8120-0530-2
- 百花(土曜美術社出版販売、1995年) ISBN 4-8120-0538-8
- 未来(土曜美術社出版販売、1996年) ISBN 4-8120-0593-0
作詞
- 自治体歌
- 三郷市民の歌(作曲:狛林正一)
- 君津市民の歌(作曲:狛林正一)
- 燕市民歌(作曲:高木東六)
- ニセコ町のうた(作曲:狛林正一)
- 富岡わがまち(作曲:前田俊明)
- 美浜町民の歌(作曲:松山かずお)
- 内原町民の歌(作曲:押尾司)
- 音頭
- 政治家のテーマソング
- CMソング
参考文献
- 『現代人物事典 出身県別・東日本版』(サン・データ・システム、1980年) NCID BN06828321
脚注
注釈
出典
関連項目
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