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岩田三史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 07:08 UTC 版)

岩田三史

岩田 三史(いわた さんし、1890年明治23年)12月3日[1] - 1973年昭和48年)9月3日[1])は、大正から昭和期の医師政治家貴族院多額納税者議員埼玉県川口市長、川口市名誉市民[1]

経歴

埼玉県北足立郡川口町[1](現在川口市[1])で、川口屈指の大地主[1]・岩田武三郎、いよ の長男として生まれた[2]。浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、第四高等学校第三部を経て[1]1919年大正8年)九州帝国大学医学部を卒業[1]。同医学部副手、東京帝国大学医学部細菌学教室研究生となり、医学博士号を取得した[1]。その後、帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学)教授、額田内科病院副院長を務めた[1]

1931年(昭和6年)6月4日、補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され[3]1932年(昭和7年)9月28日まで在任[4]1933年(昭和8年)4月1日に川口市が成立すると、初代市長に選出され同年6月12日に就任し、市章の制定、新町名の決定、第1回学校体育祭の開催、市広報紙の発行などを推進し、1934年(昭和9年)10月7日に市長を退任[5]1939年(昭和14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に再度就任し[6]交友倶楽部に所属して1946年(昭和21年)4月13日まで在任した[4][7]。その後、公職追放となる[8]

その他、埼玉新聞社社長を務めた。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『埼玉人物事典』118頁。
  2. ^ 『人事興信録 第13版 上』イ266頁。
  3. ^ 『官報』第1328号、昭和6年6月5日。
  4. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』188頁。
  5. ^ 『日本の歴代市長 第1巻』700頁。
  6. ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。
  7. ^ 『官報』第5781号、昭和21年4月25日。
  8. ^ 公職追放の該当事項は「翼賛会中央協力会議長」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、194頁。NDLJP:1276156 

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長 第1巻』歴代知事編纂会、1983年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。





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