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角田幸吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 14:22 UTC 版)

角田幸吉
かくた こうきち
生年月日 1896年5月27日
出生地 日本 宮城県
没年月日 (1966-04-07) 1966年4月7日(69歳没)
出身校 法政大学専門部法律科卒業
前職 弁護士
現職 東洋大学教授
所属政党 日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
分党派自由党→)
革新自由民主党
称号 正五位
勲三等旭日中綬章
法学博士(法政大学・1943年

選挙区 旧宮城2区
在任期間 1947年 - 1952年8月28日
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角田 幸吉(かくた こうきち、1896年明治29年)5月27日 - 1966年昭和41年)4月7日)は日本政治家法学者弁護士衆議院議員(2期)、東洋大学教授。

略歴

1896年(明治29年)5月27日、宮城県に生まれる。1921年大正10年)に法政大学専門部法律科を卒業、弁護士試験に合格し、弁護士業に従事する。1939年(昭和14年)から法政大学で講師を務め、後に教授に就任し、1943年(昭和18年)に『日本親子法論』で法学博士(法政大学)を取得する[1]

1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙に出馬し、連続当選する。初代衆議院人事委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長、自由党総務を務める。

衆議院議員を退任後、1956年(昭和31年)に東洋大学法学部の創設に参画し、教授に就任する。また、東京弁護士会人権擁護委員長、東京技工社長などを歴任する。

1966年(昭和41年)3月30日勲三等旭日中綬章受章[2]。同年4月7日死去、69歳。死没日をもって正五位に叙される[3]

著書

  • 『家族法論 家を中心として』(酒井書店、1931)
  • 『親族法論考』(良書刊行会、1937)
  • 『日本親子法論』(有斐閣、1941)

参考

脚注

  1. ^ 日本親子法論
  2. ^ 『官報』第11789号19頁 昭和41年4月1日号
  3. ^ 『官報』第11797号20-21頁 昭和41年4月11日号

外部リンク

議会
先代
新設
衆議院人事委員長
1948年
次代
星島二郎



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