辻太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 00:02 UTC 版)
辻 太郎
つじ たろう
|
|
---|---|
![]() |
|
生年月日 | 1869年8月2日 (明治2年6月25日) |
没年月日 | 1944年1月22日(74歳没) |
出身校 | ローズ工科大学 |
所属政党 | 公正会 |
称号 | 従三位 勲二等 男爵 |
配偶者 | 陸子(先妻・田中芳男次女) 柳子(後妻・室田武氏次女) |
親族 | 新次(父) 同次郎(弟) 周夫(養子) |
選挙区 | (男爵議員) |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1918年3月16日 - 1944年1月22日 |
辻 太郎(つじ たろう、1869年8月2日〈明治2年6月25日〉- 1944年〈昭和19年〉1月22日[1])は、日本の鉄道技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。
経歴
東京府出身。文部官僚・辻新次の長男として生まれる[1][2]。工部大学校を経て、1886年(明治19年)、アメリカ合衆国に留学し、1890年(明治23年)、ローズ工科大学を卒業[2][3]。1893年(明治26年)以降、逓信省鉄道技師、鉄道技師、逓信技師、鉄道院技師、臨時鉄道国有準備局技師、鉄道会議臨時議員、伊那電車軌道取締役、日本化学製油社長などを務めた[2][3]。
父・新次の死去に伴い、1915年(大正4年)12月24日、家督を相続し男爵を襲爵した[1][4]。
1918年(大正7年)3月16日、補欠選挙で貴族院男爵議員に選出され[5]、公正会に属して死去するまで在任した[3]。
親族
- 養子:辻周夫(男爵・青木梅三郎五男)[1]
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
外部リンク
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 辻新次 |
男爵 辻(新次)家第2代 1915年 - 1944年 |
次代 辻周夫 |
- 辻太郎のページへのリンク