何礼之とは? わかりやすく解説

何礼之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 10:13 UTC 版)

何 礼之(が のりゆき(れいし)、天保11年7月13日1840年8月10日) - 大正12年(1923年3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した日本翻訳家幕臣官僚、教育者。通称は礼之助。姓は「か」ではなく「が」と読む。幕末の長崎で創設した私塾は、塾生が300名を越え、維新後に活躍する多くの人材を育てた。開成所(現・東京大学)教授を務め、大阪洋学校(現・京都大学)の創設者でもある。岩倉使節団の一員としても活躍し、自由民権運動に大きな影響を与えるなど、教育者、外交官、翻訳者として、様々な立場で日本の近代化に多大な貢献をした[1][2]。翻訳局長、元老院議官、貴族院議員も務めた[3]


  1. ^ 大久保 利謙「幕末英学史上における何礼之 : とくに何礼之塾と鹿児島英学との交流」『研究年報 1977』第6巻、鹿児島県立短期大学地域研究所、1978年3月、26-41頁。 
  2. ^ a b c 国立公文書館 アジア歴史資料センター 『何禮之 がのりゆき』
  3. ^ a b c d e f 静岡県立中央図書館 温故知新 明治初年の法律書(その1) 英学者何礼之と『萬法精理』 (PDF) 静岡県立中央図書館所蔵の貴重書紹介(28) 平成13年8月1日
  4. ^ a b 許 海華「幕末明治期における長崎唐通事の史的研究」、関西大学、2012年9月20日、doi:10.32286/00000332 
  5. ^ 郵政博物館 『前島密一代記』
  6. ^ a b 許 海華「長崎唐通事何礼之の英語習得」『関西大学東西学術研究所紀要』第44巻、関西大学東西学術研究所、2011年4月、297-318頁、ISSN 02878151 
  7. ^ a b 村瀬寿代「長崎におけるフルベッキの人脈」『桃山学院大学キリスト教論集』第36号、桃山学院大学総合研究所、2000年3月、63-94頁、ISSN 0286973XNAID 110000215333 
  8. ^ 茂住 實男「英語伝習所設立とその後」『英学史研究』第1980巻第12号、日本英学史学会、1979年、193-206頁、ISSN 1883-9282 
  9. ^ 名古屋大学大学院法学研究科『人事興信録』データベース『長谷川芳之助』初版 明治36(1903)年4月
  10. ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
  11. ^ 『官報』第2546号、明治24年12月23日。
  12. ^ a b 何禮之『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  13. ^ 『官報』第479号「賞勲叙任」1885年2月7日。
  14. ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
  15. ^ 『官報』第1027号「叙任」1886年12月1日。
  16. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  17. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。


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