きょうふてつがく 【教父哲学】
教父哲学
教父哲学(アウグスティヌス)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:20 UTC 版)
「政治学史」の記事における「教父哲学(アウグスティヌス)」の解説
中世の政治思想に大きく影響を与えたのが、アウグスティヌスとその著作『神の国』(413年-426年)である。この著作は、当時北方からのゲルマン民族の侵入によって危機を迎えていたローマ帝国で発生したキリスト教批判に反駁する内容である。彼は現実世界を「地の国」とし、その世界はいずれ崩壊するもので、永遠の「神の国」とは本質的には異なるとした。そのうえで「神の国」は「地の国」と重なり合って歴史を構成しているが、その地上に現れている「神の国」はキリスト教信者の共同体であって、しかも教会と同義ではないとしている。アウグスティヌスは教会も基本的には「地の国」の政治社会に過ぎないと述べるが、それを通じて「神の国」に入るという意味では教会のほかに救いはないとした。アウグスティヌスはキケロの正義論を引用しつつ、キケロのいう正義は信仰なしには存在せず、現実のローマ帝国が没落していくのは正義を欠いているためだと結論づけた。
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教父哲学
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「霊性 (キリスト教)」の記事における「教父哲学」の解説
プラトン主義とキリスト教の混交が始まるのは、教父哲学においてであり、オリゲネスの霊性理解はプラトン主義に接近している。それに対しエイレナイオスは霊と肉の区別(霊肉二元論の強調)を批判し、その傾向が著しいグノーシス主義を排斥している。カトリック大事典では、グノーシス、新プラトン主義からのキリスト教的霊性への影響があり、また教父神学は霊性と一体であるとする。
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教父哲学(アウグスティヌス)
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「初期キリスト教」の記事における「教父哲学(アウグスティヌス)」の解説
詳細は「アウグスティヌス」を参照 4世紀になると、アウグスティヌスはキリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、正統信仰の確立に貢献した教父のなかで後世に大きな影響を残した。 『神の国』には「二国史観」あるいは「二世界論」と呼ばれる思想が述べられている。「二国」あるいは「二世界」とは、「神の国」と「地の国」のことで、前者はイエスが唱えた愛の共同体のことであり、後者は世俗世界のことである。イエスが述べたように、「神の国」はやがて「地の国」にとってかわるものであると説かれている。しかしイエスが言うように、「神の国」は純粋に精神的な世界で、目で見ることはできない。アウグスティヌスによれば、「地の国」におけるキリスト教信者の共同体である教会でさえも、基本的には「地の国」のもので、したがって教会の中には本来のキリスト教とは異質なもの、世俗の要素が混入しているのである。だが「地の国」において信仰を代表しているのは教会であり、その点で教会は優位性を持っていることは間違いないという。またアウグスティヌスは、人間の自由意志について論じ、古代以来の「自由」という言葉を「神との関係における人間そのもののあり方に関わる言葉」として再定義し、のちの思想史に大きな影響を与えた。その一方で人間は本来的に堕落しており無力であるというパウロの思想が踏襲され、神の恩寵が絶対的であることも説かれた。 このようなアウグスティヌスの思想は、精神的なキリスト教共同体と世俗国家を弁別し、キリスト教の世俗国家に対する優位、普遍性の有力な根拠となった。一方で『告白』に見られるような個人主義的に傾いた信仰と『神の国』で論じられた教会でさえも世俗的であるという思想は、中世を通じて教会批判の有力な根拠となり、宗教改革にも決定的な影響を与えるものであった。
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