教海寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 04:41 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動教海寺 | |
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![]() 本堂 |
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所在地 | 兵庫県三木市細川町脇川 |
山号 | 脇川山 |
宗派 | 真言宗大覚寺派 |
創建年 | (伝)651年 |
開基 | (伝)法道 |
正式名 | 脇川山教海寺 |
法人番号 | 2140005006118 ![]() |
教海寺(きょうかいじ)は兵庫県三木市細川町脇川にある寺院。山号は脇川山(わきかわさん)。宗派は真言宗大覚寺派。
概略
『峰相記』にも記述のある古刹。
寺伝では白雉2年(651年)、法道仙人によって開基された。 延暦14年(795年)、当寺で空海が三年間修行したことから、寺号を「教海寺」とした(空海は一時教海とも名乗っていた)。
中世を通して、坊舍四十八坊寺領の50石があったが、天正8年(1580年)三木合戦の時、兵火によって焼かれ、焼失した。伝承では、三木合戦で籠城中の別所長治軍に教海寺の寺僧は城内の兵を助けるために、米を詰めた竹筒を美嚢川支流の脇川に流し、羽柴秀吉軍の目を盗んで三木城に送ったが、竹筒の栓に、同寺周辺にしかないコウヤマキを使ったため送り主が発覚し、寺は焼き打ちに遭ったとされる[1]。 のち、檀家らの熱心な寄進により、徐々に再建が進み元和元年(1615年)、大師堂が建立された。
当山御詠歌
祈りてし 願ひは満ちて 湧川の 山のこなたに ひびくたきつせ
『脇川山教海寺由緒沿革碑』より
建築物
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「脇川の念仏水」付近に立つ空海像。
周辺情報
- 四国八十八箇所、西国三十三所巡り
- 脇川山(標高157.4m)には、ミニチュアの四国八十八ヶ所、西国三十三ヶ所巡りがあり、各寺を模したほこらが置かれてある。江戸時代に創られ、阪神・淡路大震災の時、一部破損したが、2007年、檀家らの寄進によって修復された。
- みころもの瀧
- 脇川の念仏水
- 衣池
- 眼洗地蔵
- 洞ヶ岩
- 独鈷の松
- 鏡岩
- 七廻り池
- 黄金塚
交通アクセス
自家用車で行くも道が狭いので注意が必要。
参考文献
- 播磨地名研究会編『播磨 山の地名を歩く(姫路文庫8)』神戸新聞総合出版センターISBN 9784343001535 (4343001539)
- 『峰相記』
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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