ネヴィル家とは? わかりやすく解説

ネヴィル家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 08:56 UTC 版)

ネヴィル家の紋章

ネヴィル家: Neville family)は、イギリスの貴族の家系。中世期にはパーシー家と双璧するイングランド北部の最有力貴族だった。ウェストモーランド伯爵ネヴィル家を嫡流とし、分流も婚姻などを通じて数多くの爵位や領地を得た。薔薇戦争期に「キングメーカー」として著名となった第16代ウォリック伯爵リチャード・ネヴィルも分流の一人である。ネヴィル一門が保有した爵位の多くはすでに廃絶したり剥奪されたりしているが、2020年現在も残っている世襲貴族のネヴィル家にアバーガヴェニー侯爵ネヴィル家がある。

歴史

レイビー城英語版

ネヴィル家は13世紀初期に台頭し[1]ダラム州レイビー城英語版を本拠とした[2]ラナルフ・ネヴィル英語版(1262-1331)1295年6月24日レイビーのネヴィル男爵英語版として議会招集令状(writ of summons)を受けたのがイングランド貴族としてのネヴィル家の始まりである[3]

第2代ネヴィル男爵ラルフ・ネヴィル英語版(1291頃-1367)は、第2代パーシー男爵英語版ヘンリー・パーシー英語版とともに辺境警備長官となり、1346年にはネヴィルズ・クロスの戦いでスコットランド軍の撃破に貢献した[1]

第3代ネヴィル男爵ジョン・ネヴィル英語版(1340頃-1388)は、百年戦争でフランスと戦い、晩年には国境付近でスコットランドと戦った[4]。またその弟アレクサンダー・ネヴィル英語版は、ヨーク大司教としてリチャード2世の側近となったが、1388年訴追派貴族の策動で非情議会で訴追されたため、フランドルに亡命を余儀なくされた[5]

第4代ネヴィル男爵ラルフ・ネヴィル(1364頃-1425)は、1397年にリチャード2世の反撃で捕らえられた訴追派貴族の裁判にあたり、その功績で[5]、同年9月29日にイングランド貴族ウェストモーランド伯爵(Earl of Westmorland)に叙位された[6]。しかしその後ヘンリー・ボリングブルック(ヘンリー4世)によるリチャード2世からの王位簒奪に協力。ヘンリー4世即位後にはその重臣となり、初代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーリチャード・スクループ英語版らの反乱を鎮圧した[5]

初代ウェストモーランド伯の長男ジョン・ネヴィル英語版(1387頃-1420)の系譜がウェストモーランド伯爵位を継承していく。ジョンの息子である第2代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル英語版(1408–1484)は、パーシー家の娘と結婚した[5]。5代ウェストモーランド伯ヘンリー・ネヴィル英語版(1525–1564)は、[カトリック教会|カトリック]]としてメアリー1世を支持した[5]。その息子の6代ウェストモーランド伯チャールズ・ネヴィル(1542–1601)もカトリックだったが、1569年にノーサンバランド伯家とともに北部諸侯の乱英語版を起こしたことで国外亡命と爵位剥奪に追いやられている[5]。レイビー城をはじめとする所領も没収され、嫡流にあたるウェストモーランド伯爵ネヴィル家はこれで終焉した。

この嫡流と別に初代ウェストモーランド伯の三男リチャード・ネヴィル(1400-1460)は、第5代ソールズベリー女伯爵アリス・モンタギュー英語版と結婚したことで妻の権利英語版により第5代ソールズベリー伯爵となった[7]。しかし薔薇戦争勃発後、義弟の第3代ヨーク公リチャードを支持したため、ウェイクフィールドの戦い敗北後にヨーク公とともに処刑された[8]。その息子のリチャード・ネヴィルウォリック伯爵ビーチャム家のアン・ビーチャムと結婚したことで妻の権利で16代ウォリック伯爵となり、後に母親からソールズベリー伯爵位も継承した。彼は薔薇戦争期にその動向が二度にわたって国王の即位や復位を左右したので「キングメーカー」と称されたことで著名である。はじめヨーク派に属して1461年エドワード4世ヘンリー6世を追ってヨーク朝を開くのに貢献し、没収されたランカスター派貴族の所領を次々と与えられてイングランド最有力貴族となったが、次第にエドワード4世と対立し、ランカスター派に転じてエドワード4世を追い、1470年にはヘンリー6世を一時的に復位させた。しかし翌1471年には体勢を立て直したエドワード4世の反撃でバーネットの戦いに敗れて敗死している[8]。その弟ジョン・ネヴィルもヨーク派として戦ったため、エドワード4世即位後の1464年5月27日にノーサンバーランド伯爵位を与えられたが、その後パーシー家にノーサンバーランド伯爵位の回復が認められたために1470年3月25日に改めてモンターギュ侯爵(Marquess of Montagu)に叙位された。しかしこの処置に不満を抱き、兄とともにランカスター派に転じてバーネットの戦いで敗死した[5]。その息子ジョージ・ネヴィル(1461頃-1483)は1470年1月5日にエドワード4世の王女エリザベス・オブ・ヨークとの結婚を見越してベッドフォード公爵(Duke of Bedford)に叙位されたが、父がランカスター派に転じて敗死したため、エリザベスとの婚約は破談となり、さらに1478年には議会法によって「名誉ある地位を保てるだけの財産がない」とされて爵位をはく奪されている[9]

他にも初代ウェストモーランド伯の八男ウィリアム・ネヴィル(1410頃-1463)フォーコンバーグ男爵英語版ケント伯に叙され、十男ジョージ英語版(-1469)ラティマー男爵英語版に叙位された[6]

そして初代ウェストモーランド伯の十一男エドワード・ネヴィル(?-1476)は、第3代バーガヴェニー女男爵英語版エリザベス・ビーチャム(1415–1448)と結婚したことで1450年9月5日議会招集令状英語版バーガヴェニー男爵(もしくはアバーガヴェニー男爵)英語版(Baron Bergavenny or Baron Abergavenny)として議会に召集された。バラ戦争ではほかの兄弟と同様にヨーク派に属した[5]

このバーガヴェニー男爵ネヴィル家の系譜は現代まで存続しており、17代バーガヴェニー男爵ジョージ・ネヴィル(1727–1785)の代の1784年5月17日グレートブリテン貴族アバーガヴェニー伯爵(Earl of Abergavenny)ケント州におけるビアリングのネヴィル子爵(Viscount Nevill, of Birling in the County of Kent)に叙せられた[10][11]。さらに5代アバーガヴェニー伯爵ウィリアム・ネヴィル英語版(1826–1915)の代の1876年1月14日連合王国貴族アバーガヴェニー侯爵(Marquess of Abergavenny)ルイス伯爵(Earl of Lewes)に叙せられた[12][13]。5代アバーガヴェニー侯爵ジョン・ネヴィル(1914–2000)の死去の際に議会招集令状による爵位であるバーガヴェニー男爵位は停止し、アバーガヴェニー侯爵位以下男系男子に限定される勅許状の爵位は甥のクリストファー・ネヴィル英語版(1955-)(6代アバーガヴェニー侯爵)に継承された。2020年現在の当主も彼である[13]

系図

ウートレッド・フィッツモルドレッド[14]
(1080頃-1129年以前)
ドルフィン・フィッツウートレッド[15]
(1110頃-?)
モルドレッド・フィッツドルフィン[16]
(1157頃-1183以前)
ジェフリー・ド・ネヴィル[17]
(1145頃-1193以前)
エマ・ド・バルマー[18]
(?-1208以前)
ロバート・フィッツモルドレッド[19]
(1170頃-1242から1248頃)
イザベル・ド・ネヴィル[20]
(1176頃-1254以前)
ジェフリー・ド・ネヴィル[21]
(1197頃-1242)
ジェフリー[22]
(1223頃-1282以前)
ロバート[23]
(1240頃-1271)
ラナルフ英語版[24]
レイビーの初代ネヴィル男爵英語版
(1262-1331)
ラルフ英語版[25]
レイビーの2代ネヴィル男爵
(1291頃-1367)
ジョン英語版[26]
レイビーの3代ネヴィル男爵
(1340頃-1388)
アレクサンダー英語版[27]
ヨーク大司教
(1331から1340頃-1392)
ラルフ
レイビーの4代ネヴィル男爵
初代ウェストモーランド伯
(1364頃-1425)
ジョン英語版
(1387頃-1420)
リチャード
5代ソールズベリー伯
(1400-1460)
ロバート英語版
司教
(?-1457)
ウィリアム
初代ケント伯
(?-1463)
ジョージ英語版
初代ラティマー男爵英語版
(?-1469)
エドワード
3代バーガヴェニー男爵英語版
(?-1476)
セシリー
結婚:3代ヨーク公リチャード
(1415-1495)
ラルフ英語版
2代ウェストモーランド伯
(1406-1484)
ジョン
(1410頃-1461)
リチャード
16代ウォリック伯
(1428-1471)
ジョン
初代モンタギュー侯
(1431-1471)
ジョージ英語版
ヨーク大司教
(1432-1476)
トマス英語版
フォーコンバーグ子爵
(1429-1471)
ヘンリー
(?-1469)
ジョージ英語版
4代バーガヴェニー男爵
(1440頃-1492)
ラルフ英語版
3代ウェストモーランド伯
(1456-1499)
アン
結婚:リチャード3世
(1456-1485)
ジョージ
ベッドフォード公
(1461-1483)
リチャード英語版
2代ラティマー男爵
(1468-1530)
ジョージ英語版
5代バーガヴェニー男爵
(1469-1535)
エドワード英語版
(1471-1538)
ラルフ
(?-1498)
ジョン英語版
3代ラティマー男爵
(1493-1543)
ヘンリー英語版
6代バーガヴェニー男爵
(?-1587)
エドワード英語版
7代バーガヴェニー男爵
(1526頃-1588)
ラルフ英語版
4代ウェストモーランド伯
(1498-1549)
ジョン英語版
4代ラティマー男爵
(1520-1577)
メアリー
結婚:トマス・フェイン
(1554-1626)
エドワード英語版
8代バーガヴェニー男爵
(1550頃-1622)
ヘンリー英語版
5代ウェストモーランド伯
(1525-1569)
フェイン家
ウェストモーランド伯
ヘンリー英語版
9代バーガヴェニー男爵
(?-1641)
クリストファー[28]
(?-1649)
チャールズ
6代ウェストモーランド伯
(1542-1601)
ジョン英語版
10代バーガヴェニー男爵
(1614頃-1662)
ジョージ英語版
11代バーガヴェニー男爵
(?-1666)
リチャード[29]
(?-1643)
ジョージ英語版
12代バーガヴェニー男爵
(1665-1695)
ジョージ[30]
ジョージ[31]
13代バーガヴェニー男爵
(1657-1720/1)
エドワード[32]
(?-1701)
ジョージ[33]
14代バーガヴェニー男爵
(1702–1723)
エドワード[34]
15代バーガヴェニー男爵
(?-1724)
ウィリアム[35]
16代バーガヴェニー男爵
(?-1744)
ジョージ[36]
17代バーガヴェニー男爵
初代アバーガヴェニー伯
(1727–1785)
エドワード[37]
(1729- )
ヘンリー英語版
2代アバーガヴェニー伯
(1755-1843)
ジョン英語版
3代アバーガヴェニー伯
(1789-1845)
ウィリアム英語版
4代アバーガヴェニー伯
(1792-1868)
ウィリアム英語版
5代アバーガヴェニー伯
初代アバーガヴェニー侯
(1826-1915)
レジナルド英語版
2代アバーガヴェニー侯
(1853-1927)
ヘンリー英語版
3代アバーガヴェニー侯
(1854-1938)
ジョージ
(1856-1920)
ガイ英語版
4代アバーガヴェニー侯
(1883-1954)
ジョン
5代アバーガヴェニー侯
(1914-2000)
ルパート
(1923-1982)
クリストファー英語版
6代アバーガヴェニー侯
(1955-)

紋章

Category:Neville arms参照

出典

  1. ^ a b 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 509.
  2. ^ Emery, Anthony (1996). Greater Medieval Houses of England and Wales, 1300–1500, Volume I: Northern England. Cambridge: Cambridge University Press. p. 123. ISBN 978-0-521-49723-7 
  3. ^ Heraldic Media Limited. “Nevill, Baron (E, 1295 - 1571)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年5月4日閲覧。
  4. ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, pp. 509–510.
  5. ^ a b c d e f g h 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 510.
  6. ^ a b Heraldic Media Limited. “Westmorland, Earl of (E, 1397 - forfeited 1571)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年5月2日閲覧。
  7. ^ Heraldic Media Limited. “Salisbury, Earl of (E, 1337 - 1471)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年5月3日閲覧。
  8. ^ a b 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 799.
  9. ^ Heraldic Media Limited. “Montagu, Marquess of (E, 1470 - degraded 1478)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年5月3日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “George Neville, 1st Earl of Abergavenny” (英語). thepeerage.com. 2016年6月11日閲覧。
  11. ^ Heraldic Media Limited. “Abergavenny, Earl of (GB, 1784)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年6月11日閲覧。
  12. ^ Lundy, Darryl. “Sir William Nevill, 1st Marquess of Abergavenny” (英語). thepeerage.com. 2016年6月11日閲覧。
  13. ^ a b Heraldic Media Limited. “Abergavenny, Marquess of (UK, 1876)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年6月11日閲覧。
  14. ^ Lundy, Darryl. “Uchtred fitz Maldred” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  15. ^ Lundy, Darryl. “Dolfin fitz Uchtred, Lord of Raby” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  16. ^ Lundy, Darryl. “Maldred fitz Dolfin, Lord of Raby” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  17. ^ Lundy, Darryl. “Geoffrey (VI) de Neville” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  18. ^ Lundy, Darryl. “Emma de Bulmer” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  19. ^ Lundy, Darryl. “Robert fitz Maldred, Lord of Raby” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  20. ^ Lundy, Darryl. “Isabel de Neville” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  21. ^ Lundy, Darryl. “CGeoffrey (VII) de Neville” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  22. ^ Lundy, Darryl. “Robert (I) de Neville, Lord of Raby” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  23. ^ Lundy, Darryl. “Robert (II) de Neville” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  24. ^ Lundy, Darryl. “Ranulf de Neville, 1st Lord Neville” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  25. ^ Lundy, Darryl. “Ralph de Neville, 2nd Lord Neville” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  26. ^ Lundy, Darryl. “John de Neville, 3rd Lord Neville” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  27. ^ Lundy, Darryl. “Alexander de Neville” (英語). thepeerage.com. 2020年5月2日閲覧。
  28. ^ (A)bergavenny, Baron (E, 1604 - dormant 1641), Creation: writ of sum. 25 May 1604 (precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月30日). 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
  29. ^ (A)bergavenny, Baron (E, 1604 - dormant 1641), Creation: writ of sum. 25 May 1604 (precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月30日). 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
  30. ^ (A)bergavenny, Baron (E, 1604 - dormant 1641), Creation: writ of sum. 25 May 1604 (precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月30日). 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
  31. ^ (A)bergavenny, Baron (E, 1695 - abeyant 1811), Creation: writ of sum. 1 May 1695 (with precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月31日). 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
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  33. ^ (A)bergavenny, Baron (E, 1695 - abeyant 1811), Creation: writ of sum. 1 May 1695 (with precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月31日). 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
  34. ^ (A)bergavenny, Baron (E, 1695 - abeyant 1811), Creation: writ of sum. 1 May 1695 (with precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月31日). 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
  35. ^ (A)bergavenny, Baron (E, 1604 - dormant 1641), Creation: writ of sum. 25 May 1604 (precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月30日). 2012年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月7日閲覧。
  36. ^ Abergavenny, Baron (GB, 1724 - abeyant 1938) Creation: writ of sum. 12 Nov 1724 (with precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月30日). 2016年11月7日閲覧。
  37. ^ Abergavenny, Baron (GB, 1724 - abeyant 1938) Creation: writ of sum. 12 Nov 1724 (with precedency of 1392)”. Cracroft's Peerage. Heraldic Media Limited (2007年1月30日). 2016年11月7日閲覧。

参考文献


ネヴィル家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 07:00 UTC 版)

ウェストモーランド伯爵」の記事における「ネヴィル家」の解説

第1期ウェストモーランド伯叙されたネヴィル家は、13世紀初頭から台頭し中世北部イングランドパーシー家二分する勢力誇った貴族である。13世紀後期当主ラナルフ・ネヴィル(英語版)(1262-1331)は、1295年6月24日レイビーネヴィル男爵英語版)として議会招集令状(writ of summons)を受けた6代ネヴィル男爵ラルフ・ネヴィル(1364–1425)は、リチャード2世のもとで1397年訴追派貴族裁判かかわり、その功績1397年9月29日ウェストモーランド伯爵叙された。リチャード2世ランカスター家ヘンリー4世王位奪われた際にも巧みにヘンリー4世乗り換えて1405年には初代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー反乱の鎮圧あたった初代伯は子沢山であり、子供のうち長男家系ウェストモーランド伯爵位を継承していく。またヤンガーサンたちの中にも妻の権利により爵位継承する者が出たリチャード・ネヴィルソールズベリー伯爵位、ウィリアム・ネヴィルはフォーコンバーグ男爵英語版)(のちケント伯叙される)、エドワード・ネヴィル英語版)(–1476)はバーガベニー男爵英語版)(アバーガベニー男爵)を継承している。 初代伯の嫡流の孫2代ウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィル英語版)(1408–1484)は、パーシー家の娘と結婚した5代ウェストモーランド伯ヘンリー・ネヴィル(英語版)(1525–1564)は、カトリックとしてメアリー1世支持した。その息子6代ウェストモーランド伯チャールズ・ネヴィル(1542–1601)もカトリックだったが、1569年北部諸侯の乱(英語版)を起こしたことで国外亡命爵位剥奪追いやられた

※この「ネヴィル家」の解説は、「ウェストモーランド伯爵」の解説の一部です。
「ネヴィル家」を含む「ウェストモーランド伯爵」の記事については、「ウェストモーランド伯爵」の概要を参照ください。

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