リチャードの結婚と妻の権利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 00:35 UTC 版)
「リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)」の記事における「リチャードの結婚と妻の権利」の解説
父と最初の妻の間にできた子供達は皆地方貴族と結婚したが、ジョウン・ボーフォートとの子供達はより高貴な家系と縁組した。リチャードの3人の姉妹は皆公爵と結婚し(妹セシリーはヨーク公リチャードと結婚した)、彼自身はソールズベリー伯トマス・モンタキュートの一人娘で爵位継承権を持つアリス・モンタキュートと結婚した。 リチャードとアリスが結婚した日付は分かっていないが、おそらく王妃キャサリン・オブ・ヴァロワの戴冠式に夫婦として出席した1421年2月以前のことと推定される。結婚時点では妻アリスはまだ推定相続人であり、この時点でのソールズベリー伯である義父トマスは存命であるどころか、1424年にアリス・チョーサーと再婚した。しかし結局、この結婚では子供は生まれず、モンタキュート家の男系継承者の絶えた1429年にリチャードは晴れてソールズベリー伯に、アリスはソールズベリー女伯になった。こうしてリチャードは三男としては望外な所領を得た。 更に不思議なことに、本来ネヴィル家の遺産を受け継ぐはずの先妻の子(リチャードの異母兄)ジョン・ネヴィルは、その遺産の大部分を継母であるジョウンが継承する事を認めた。こうなると、ジョウンが亡くなる1440年には、その嫡子であるリチャードがネヴィル家の遺産を受け取ることになる。後に父の遺産分配に甥でジョンの息子ラルフ・ネヴィルが異議を唱えるが、1443年に決着し、リチャードはネヴィル家の主要な所領であるミドルハム・シェリフハットン・ペンリス等を所有し続けた(但し、レビィ城だけはジョンの血統に返還された)。ネヴィル家内の遺産問題の後、リチャードはパーシー家との確執に突入していく。 また、リチャードの結婚は、妻の権利として妻の母方の祖父に当たるケント伯トマス・ホランドの遺産までもたらした。皮肉にも彼のソールズベリー伯の称号自体は大した富をもたらさなかったが、彼はイングランド南部のバークシャーに邸宅を構えた。
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