パーシー家との確執とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > パーシー家との確執の意味・解説 

パーシー家との確執

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 00:35 UTC 版)

リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)」の記事における「パーシー家との確執」の解説

1443年終わりから、リチャード・ネヴィルノース・ヨークシャーミドルハム城居城とした。彼は国王顧問団一員西部国境警備責任者でもあり、その地位満足していた。弟ロバートダラム司教になり、もう1人の弟ウィリアムロックスバラ城の監督権得たリチャードの子供達はと言えば1436年長女セシリー長男リチャードそれぞれウォリック伯リチャード・ド・ビーチャムの息子・娘結婚したリチャードは後に妻の権利ウォリック伯爵位継承した。 しかし、ネヴィル家栄達この頃から陰り見せ始める。成長したヘンリー6世1430年代後半頃から親政始めたが、ヘンリー6世凋落していた王室権威を増すために、王族に近い貴族の富が増すように腐心した。しかしリチャードはまだ若かった上に、エドワード3世血を引いているとは言え庶出である上に女系血縁だったため、あまり富の分配にあずかれなかった。 この状況下の北イングランドにおいて、ネヴィル家エドワード3世男系血縁であるパーシー家との主導権争いは、重大事発展する可能性があった。支配者である国王強くて有能であれば この不和コントロールするなり自身得になるように采配するところであるが、病弱なヘンリー6世では対処できず、当初地方課題はイングランド全土での紛争へと発展してしまった。 パーシー家北イングランド中に所領持っているのに対しネヴィル家北イングランドにおける所領ノース・ヨークシャーダラム集中していた。しかしネヴィル家西部国境警備責任者だったため、北西部での所領ケンダルペンリスだけにも関わらず北西部でも大きな力を持っていた。パーシー家カンバーランドウェストモーランドにある自家の所領住人に対してネヴィル家資金力にものを言わせ西部国境警備のための兵士募集したことに憤慨していた。 15世紀イングランド体制は『疑似封建制』とも言える状況で、全ての臣民信頼に足る主君求めていた。雇われ家臣は主に軍事活動奉公し、それに対して主君家臣に「若干年俸」と「主君への忠誠を表すための徽章や服に付け小物等(制服)」と「近隣との諍い生じた時の支援保全)」を与えていた。しかし北イングランドウェストミンスター宮廷から遠いため、不正に対す法的対処という保全十分に行き渡っていなかった。そんな中リチャード国境警備責任者としての財力をもってすれば、パーシー家所領住人に対して無償支援与えることも可能だった1448年スコットランドとの戦い再開すると、ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーリチャード管轄する西部国境通って兵を投入した。これはノーサンバランド伯重大なエチケット違反である。ノーサンバランド伯西部国境突出した上に戦闘敗れ息子のポイニングズ卿は捕らえられた。攻撃転じたスコットランド軍に対応したため、リチャード2000頭以上の馬を失い、さらに後の和平交渉メンバーからもノーサンバランド伯と共に外されてしまった。これで両家感情的な対立煽られた。 長い間空け悪意薄らいだかもしれないが、ノーサンバランド伯次男イグリモント卿はその後数年わたってリチャード地盤ヨークシャー、特にヨークとシェリフ・ハットンのネヴィル家の城で紛争起こして回った1453年8月、イグリモント卿はシェリフ・ハットンへと向かったリチャード待ち伏せするつもりで、1000人以上の兵を集めたリチャードリンカンシャーで4男のトマス結婚式出席しており、その護衛の方がイグリモント卿の伏兵人数よりは少なかったであろうが、充分な武装をしていたのか、無事にシェリフ・ハットンに到着した無事だったとはいえ、これが私闘始まりである。

※この「パーシー家との確執」の解説は、「リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)」の解説の一部です。
「パーシー家との確執」を含む「リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)」の記事については、「リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「パーシー家との確執」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パーシー家との確執」の関連用語

パーシー家との確執のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パーシー家との確執のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのリチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS