リチャード3世の即位に貢献
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「トマス・ハワード (第2代ノーフォーク公)」の記事における「リチャード3世の即位に貢献」の解説
1443年に後に初代ノーフォーク公に叙されるジョン・ハワードとその妻キャサリン・ド・モリンズの間の長男としてサフォークのストック=バイ=ネイランド(英語版)に生まれる。 イプスウィッチとセットフォードのグラマー・スクールで学ぶ。薔薇戦争ではヨーク派に属し、1466年頃にはエドワード4世の従者(yeoman)となる。1471年のバーネットの戦いに参加。1476年にはノーフォークとサフォークのシェリフに就任。1478年にはノーフォーク選挙区(英語版)選出の庶民院議員を務めた。 父と共にエドワード4世の弟グロスター公リチャード(後のリチャード3世)のクーデターに加担、1483年5月末にロンドンにいた父から呼び出され、6月13日にヘイスティングス男爵ウィリアム・ヘイスティングスを誘い出して拘束、急報を聞いたエドワード4世の未亡人エリザベス・ウッドヴィルが逃げ出した先のウェストミンスター寺院を兵を率いて包囲、16日にエリザベスに次男ヨーク公リチャードを差し出させ、兄のエドワード5世共々ロンドン塔へ監禁した。エドワード4世の愛人ジェーン・ショア(英語版)も拘束して財産を没収している。 これらの功績で6月28日にリチャード3世により、父がノーフォーク公に叙されると同時にトマスもサリー伯爵に叙された。1483年から1485年にかけて枢密顧問官を務めた。1483年から1484年にかけては王室家政官(Steward of the Household)となる。
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