ネヴィル家の富の蓄積と分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 00:35 UTC 版)
「リチャード・ネヴィル (第5代ソールズベリー伯)」の記事における「ネヴィル家の富の蓄積と分裂」の解説
1400年、ダラムのレビィ城で生まれた。リチャードはウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルの三男(第10子)ではあったが、母で父の後妻ジョウン・ボーフォートはエドワード3世の3男ジョン・オブ・ゴーントの娘でヘンリー4世の異母妹であった。 ネヴィル家の所領は主にダラムとヨークシャーにあったが、イングランド王リチャード2世、ヘンリー4世はこの一家がスコティッシュ・ボーダーズにおけるパーシー家の勢力との均衡をはかるのに利用できると考え、1397年に父にウェストモーランド伯爵位が与えられ、さらに1403年にはスコットランドとの西部国境警備責任者(Lord Warden of the West March)に任命された。王族・貴族間の区別がいっそう重要になっていた時期であるからこそ、ラルフにとってエドワード3世の孫娘で王室の一員のジョウン・ボーフォートとの結婚はもう一つの報酬として見ることができる。
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