小松宮家とは? わかりやすく解説

小松宮

(小松宮家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/31 22:39 UTC 版)

小松宮(こまつのみや)は、明治時代初期に、伏見宮邦家親王の第8王子、彰仁親王によって創設された宮家。宮家の祭祀は、彰仁親王の薨去後、北白川宮能久親王の王子輝久王臣籍降下して小松侯爵家を名乗り継承した。


  1. ^ 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、544頁


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小松宮家

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小松宮彰仁親王」の記事における「小松宮家」の解説

1881年明治14年)、彰仁親王永世皇族となる。もともとは一代限り皇族であった1885年明治18年12月、子どものいなかった彰仁親王は、伏見宮邦家親王の第17王子依仁親王当時の名前は定麿王)を養子迎えた。しかし、しだいに依仁親王排除し北白川宮能久親王の第4王子輝久王後継者にしようと考えようになった1902年明治35年4月宮内大臣田中光顕臣籍降下し、輝久王養子迎えることを願う。田中難色を示すと、彰仁親王本人臣籍降下断念する代わりに輝久王臣籍降下させて侯爵として、財産相続させて、依仁親王別家させることを願ったその結果1903年明治36年1月依仁親王との養子縁組解消されて、依仁親王東伏見宮家創設した。ただし、輝久王臣籍降下認められなかった。1903年明治36年2月彰仁親王薨去頼子妃らは輝久王の小松宮家相続願ったものの、認められなかった。そのため、小松宮一代絶家することになった。しかし、1910年明治43年7月20日輝久王臣籍降下し、小松輝久侯爵名乗り小松宮祭祀継承した

※この「小松宮家」の解説は、「小松宮彰仁親王」の解説の一部です。
「小松宮家」を含む「小松宮彰仁親王」の記事については、「小松宮彰仁親王」の概要を参照ください。

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