大隈重信と諸外国との交渉とは? わかりやすく解説

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大隈重信と諸外国との交渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 04:13 UTC 版)

高輪談判」の記事における「大隈重信と諸外国との交渉」の解説

大量贋貨政府発行悪貨を含む)の流通物価不安定化させ経済にも悪影響与えた。特に一般商人民衆には金銀貨の真贋見分けることは難しく外国商人中にも贋貨入手して損害を受ける者も出た。 これに不満を抱いたのがイギリス公使であったハリー・パークスである。パークス薩摩藩長州藩支援して明治政府成立協力していた経緯があるだけに、政府極秘改税約書違反した悪貨鋳造していることに気づいていたが、これを放置しておくことは日本貿易を行うイギリス商人利益反することであると考えていた。従って、内乱終結した後には直ち明治政府通貨改革を行うことを望んでいた。 明治2年1月7日パークス呼びかけでフランス・アメリカ・イタリア・ドイツの各国公使相次いで新政府に対して新政府明治政府)が改税約書違反した通貨鋳造しているという噂があるために通貨相場暴落して商人たち損害受けている」として贋貨一掃のための措置を採る事を要求した明治政府は突然の要求驚いた取りあえず外国官副知事小松清廉帯刀薩摩藩家老)に対応をさせようとした。ところが、その小松が病に倒れてしまった(翌年36歳急死)ために、病床小松代役として推挙したのが肥前藩出身大隈重信であった大隈直ち外国官副知事参与任じられ、更に会計官(後の大蔵省)への出向1月12日)が命じられのである。だが、明治天皇東京行幸目前控えて大隈直ち京都からパークスのいる横浜に動くことは出来ず大隈外国官知事伊達宗城(前宇和島藩主)らと協議結果2月5日内外向けて近いうちに貨幣発行することを発表しパークスには神奈川県知事兼務していた外国官判事寺島宗則宥めるように指示している。だが、これがパークス怒らせて1月22日2月21日改め政府事情説明求め書簡送っている。そこで2月30日伊達の名において各国公使に対して政府現在の通貨(公式にはそれが改税約書違反悪貨とは認めなかった)を今後鋳造せずに新貨幣準備が整うまでは太政官札対応していくこと、太政官以外の組織個人はたとえ諸侯であっても貨幣鋳造するものは処罰対象となることを通知したのである。だが、実際に当時版籍奉還以前)の明治政府諸藩に対して命令を下す権限持っておらず(従って明治政府命令である太政官布告ではなく要請に近い太政官達出されていた)、特に薩摩土佐両藩は「戦勝国」の立場利用してその後贋貨鋳造続けたのであるまた、会計官では不換紙幣としての太政官札企画推進してきた副知事由利公正従来財政問題を巡る路線対立加えて外交問題から太政官札位置付け変更踏み込んだ通貨改革流れ発展してきたことに対する不満から辞意表明していた。更にこうした一連の遣り取り内外に伝わると2月28日には横浜居留地商人たち会合開いて明治政府贋貨によって生じた損害賠償求める事を決議し、更に一部商人今後回収期待して暴落した贋貨買い占めるなど様々な思惑動き出し始めていた。 3月18日東京入った大隈各国公使会談する一方で贋貨整理案の策定急いだその結果太政官許可を得次第3月30日末日をもって新通貨の発行決定金札太政官札)を正貨同様の通用等価化)・金札相場廃止」という第1弾の新方針布告する準備が整うまでに至った。ところが、布告前日29日になって太政官より反対論出され布告中止されて、正式決定前提として大阪布告文を送付している途中であった飛脚東京呼び戻されることとなった反対中心人物明治政府実力者大久保利通であった。この日、大久保岩倉具視に対して送った書簡に「町人という者は浅墓なものなので、少しお上ハキハキ申し付ければ、如何様にも従うものである。(要旨)」とあるように、商人は「お上」の命に唯々諾々と従う存在であるのだから、政治的基盤未だ脆弱で「お上としての権威十分に持っているとは言えない明治政府慌てて貨幣改革を行うことによって、万が一命令が行き渡らずに「お上」(=明治政府)に対する「万民の信」の無さ無力ぶりを内外に示すことになって政権崩壊につながると考え通貨改革不要不急のことと捉えていた。更に大久保当時はまだ表にする事は避けていたものの、贋貨整理過程自分出身である薩摩藩秘かに贋貨作っていた事実内外明らかになった時の反響危惧していたのである。 この状況大隈落胆し30日現職在任のままで兼務していた会計官副知事由利後任)を辞任することも考えるようになる。この危機救ったのは病気静養中で東京にいなかった木戸孝允であった木戸はこの事情知って4月17日付で吉井友実託して大久保送った手紙において、貨幣流通現状は「全身不随」であり、このような状況放置して大政一新明治維新)はままならないこと、そして遠回しながら薩摩藩が自ら贋貨製造事実明らかになければ維新における薩摩藩名声地に落ちることになると説いた続いて2日後には岩倉具視にも別に書簡送り通貨改革を行なわなければ却って「万民の信」を失い外国からは不正の汚名着せられることになる。として、大久保対す説得大隈への助力求めたのであるここにおいて大久保も事の重大さ認識して吉井鹿児島滞在中の西郷隆盛薩摩藩出身者相談した上で大久保個人による形式薩摩藩への建白書提出して皇国日本)の安危興亡」を救うために「御国薩摩藩)」が身を犠牲にすることで「天下大義唱える」ことが可能となることを論じて直ち贋貨鋳造取りやめて事実明らかにすることで、薩摩藩が他藩に対して優位に立てると主張したのであるまた、先に中止させた大隈による通貨改革布告への反対撤回したため、改め4月29日をもって交付されることとなったのである以後大隈4月17日会計官副知事専任7月6日大蔵省発足により大蔵大輔移行)を主導として通貨改革に関する様々な布告出されることとなる。以下はその主なものである。 4月29日新通貨の発行決定金札太政官札)を正貨同様の通用等価化)・金札相場廃止5月2日金札正貨交換禁じ等価であるため)、「太政官札」の呼称禁じる(太政官以外に通貨発行機関存在するとの誤解与えるため)。 5月28日金札発行量を現状の3,250万両留め増刷停止する両替商・その他商人贋金による取引一切禁じる(贋金鋳造流通している事実内外正式に公表する)。明治5年までに新通貨を発行して金札との交換を行うまでの間、金札流通妨げてならない金札新通発行までの正貨代替となるため)。 6月6日太政官達)-三都府(東京京都・大阪)にある金札回収して府藩県に対して禄高1万石あたり2,500両分6・7月の2回に分けて交付するので、それに相当する正貨所定期間までに会計官納付すること(この場合の「正貨」には贋金混じっている事を黙認している)。6月17日版籍奉還 さて、この2月30日新政府からの通告以後、一旦は相場安定してきたために明治政府方針見守ることにしていたパークスは、大隈予想上の急激な方針その後の独自調査予想以上に莫大な量が流通していることが判明した諸藩による贋貨版籍奉還後に「新政府とは無関係である」と切り捨てられる事を憂慮していた。特にイギリス幕末以来薩摩藩多額取引行っており、その際支払われ贋金無効と言う事になれば、イギリス商人企業打撃を受け、日本の貿易大混乱陥る事を警戒したのである。そこでパークスは他の4国公使協議して7月6日明治政府に対して覚書送付して政府大隈方針貫徹出来るのか、そして諸藩発行した贋貨について政府どうするのかを確認するための協議政府側と持つことを希望することを通知したのである

※この「大隈重信と諸外国との交渉」の解説は、「高輪談判」の解説の一部です。
「大隈重信と諸外国との交渉」を含む「高輪談判」の記事については、「高輪談判」の概要を参照ください。

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