大隈重信関係資料「府藩県石高人口表」
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「府藩県三治制下の日本の人口統計」の記事における「大隈重信関係資料「府藩県石高人口表」」の解説
早稲田大学図書館が所蔵する大隈重信関係資料に収録されている資料で、明治2年(1870年)調と書かれているが、実際の人口は『明治史要』「使府県戸口概表」や『統計集誌』「人員表」と同一のものが多く、明治2年、明治3年をベースにした本籍人口と思われる。調査対象は3府266藩40県で、多度津藩廃藩の明治4年旧暦2月5日(1871年3月25日)から丸亀藩廃藩の明治4年旧暦4月10日(1871年5月28日)の間に作成されたものであることが伺える。なお記載されている藩別人口、県別人口の合計と藩総人口、県総人口は一致せず、誤記が多数存在する。他統計との比較から、大多数の各府藩県の人口には皇族・華族・死刑の人口が加算されていないと推測される。
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