大隈重信像
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大隈重信像(おおくましげのぶぞう)は、東京都新宿区の早稲田大学早稲田キャンパス内にある、大隈重信を顕彰して作られた彫像である。 キャンパスの中央部に設置され同大学の象徴的な存在とされる[1]。本稿では歴代の大隈像についても述べる。
註釈
- ^ a b c 大隈は1889年(明治22年)の遭難により右足の大腿部から下を喪失、以降は義足と杖を常用した[2]。
- ^ 当初は伯爵である大隈重信の寿像を設置する計画であったが、1916年7月に大隈が侯爵へ陞爵したため変更された[14]。
出典
- ^ a b 檜皮(2016年)27頁
- ^ a b c d e f g 檜皮(2016年)28頁
- ^ a b c 檜皮(2016年)28-29頁
- ^ a b c d e f g h i j k l 檜皮瑞樹 (2011年6月2日). “〜第1回〜 4つの大隈銅像”. 早稲田ウィークリー. 早稲田大学. 2023年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月29日閲覧。
- ^ a b c 檜皮(2016年)29頁
- ^ 檜皮(2016年)33頁
- ^ a b c d e f “TOKYO 銅像マップ 早稲田~新宿”. 歴史群像 PRESENTS デジタル歴史館. ワン・パブリッシング. 2023年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月4日閲覧。
- ^ a b 檜皮(2016年)34頁
- ^ 檜皮(2016年)30、40頁
- ^ a b 檜皮(2016年)30頁
- ^ 檜皮(2016年)30-31頁
- ^ a b 檜皮(2016年)31頁
- ^ “大隈記念室 閉室のお知らせ”. 早稲田大学 歴史館. 早稲田大学 (2017年8月7日). 2024年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月4日閲覧。
- ^ 檜皮(2016年)34-38頁
- ^ 檜皮(2016年)35頁
- ^ 檜皮(2016年)39頁
- ^ a b 檜皮(2016年)36-37頁
- ^ 檜皮(2016年)37-38頁
- ^ a b 檜皮(2016年)37頁
- ^ a b c d e f g 檜皮(2016年)38-39頁
- ^ 檜皮(2016年)40頁
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- ^ a b c “新宿区 大隈重信像”. 東京とりっぷ. プレスマンユニオン. 2023年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 檜皮(2016年)31-32頁
- ^ “TOKYO 銅像マップ 早稲田~新宿”. 歴史群像 PRESENTS デジタル歴史館. 大隈重信(二代目像)写真. ワン・パブリッシング. 2024年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月5日閲覧。
- ^ “早大の大隈重信像が正面ではなく斜めを向くのは妻が理由?”. NEWSポストセブン. 小学館 (2018年6月16日). 2021年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月5日閲覧。
- ^ 「<あのころ>大隈重信像にペンキ 全国に大学紛争の嵐」『47NEWS』(共同通信)、2019年5月9日。2024年1月5日閲覧。オリジナルの2023年12月27日時点におけるアーカイブ。
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- ^ “TOKYO 銅像マップ 霞ヶ関~日比谷”. 歴史群像 PRESENTS デジタル歴史館. ワン・パブリッシング. 2022年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月5日閲覧。
- ^ a b “「佐賀さいこう!」大隈重信のモニュメントが登場!!”. 早稲田大学 社会連携課. 早稲田大学 (2018年3月5日). 2021年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月14日閲覧。
- ^ “偉人モニュメント”. 佐賀県 (2021年8月6日). 2023年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月14日閲覧。
- ^ a b c 「ゆかりの偉人像佐賀市に 等身大の鍋島直正、大隈重信ら25体」『西日本新聞』、2018年3月4日。2024年2月3日閲覧。オリジナルの2024年2月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “大隈重信像”. 竹中銅器. 2023年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月18日閲覧。
- ^ “徳安 和博(芸術地域デザイン学部 芸術地域デザイン学科)”. 佐賀大学. 2024年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月18日閲覧。
- 1 大隈重信像とは
- 2 大隈重信像の概要
- 3 参考文献
- 4 外部リンク
大隈重信像
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大隈重信は政治家と教育者という2つの顔を持っていたため、おもに大礼服姿のものとガウン姿のものに分けられる。 早稲田大学 早稲田大学早稲田キャンパスには2体の大隈像があり、有名なガウン姿の立像は昭和7年(1932年)10月17日、早稲田大学創設50周年と大隈重信10回忌を兼ねて作られた。右足を失ったあとの姿のものであるため、杖をついているのが特徴である。製作者である彫刻家の朝倉文夫は大隈像を3回制作しているが、この立像は2回目のもの。高さは298センチあり、大隈講堂の方向を向く形で設置されている。受験期には受験生により賽銭が供えられることも少なくない。 また、あまり知られていない大礼服姿の大隈像は大隈講堂内にあり、制作者は同じく朝倉文夫で1回目に制作した大隈像である。もともとは現在ガウン姿の大隈像がある位置にあったが、大隈講堂内に移設された。1907年に大学創立25周年と大隈の数え年70歳を記念して建てられた。1916年に綾子夫人像の建設が計画されると、「恩賜館組」と呼ばれる少壮教授グループの反対運動が起こり、夫人像の建設はいったん中止されたが、10年後に大隈会館に設置され、現在は大隈庭園にある。 これら以外にも、ほかのキャンパスに大隈の胸像が設置されている。 国会議事堂 国会議事堂にある大隈像は、中央広間1階に日本初の政党内閣を樹立した功績を称え、板垣退助、伊藤博文とともに飾られている。昭和13年(1938年)2月に明治憲法発布50周年を記念して作られた。朝倉文夫作。 大隈記念館 佐賀県佐賀市にある大隈記念館内にある大隈像は昭和63年(1988年)4月に大隈重信の生家跡地に建てられた。この立像は大隈重信が右足を失う前の姿のものである。 大隈重信旧宅 佐賀県佐賀市にある大隈重信の旧宅は、武家屋敷の面影を残した貴重なもので、国の史跡に指定されている。庭園には、葬儀委員長を務めた波多野敬直の筆による「大隈重信公誕生地」の記念碑が建っている。
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