飯田義一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 飯田義一の意味・解説 

飯田義一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 13:03 UTC 版)

飯田 義一

飯田 義一(いいだ ぎいち、1851年1月23日嘉永3年12月22日) - 1924年大正13年)2月10日)は、日本実業家三井物産専務理事や、三井合名参事、大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)会長などを歴任した。

人物・経歴

長門国長州藩士飯田行三の長男として生まれる。飯田家の第13世。外国語学校、測量司学校を経て、1873年工部省入省[1][2]鉄道院参事補[3]鉄道局副参事等を経て[4]、1884年に退官し、三井物産入社[5]インド木綿輸入体制を構築し、1893年大阪支店支配人に就任[1][2]。1894年には綿花部を設立し[6]、1898年から棉花部支配人兼務。1901年理事[1][2]。1906年専務理事心得。1908年専務理事[7]。1909年常務取締役。1911年三井合名参事王子製紙取締役三井鉱山取締役。1914年シーメンス事件で起訴され退任。懲役1年執行猶予3年の判決を受け勲五等を褫奪されたが、後に恩赦となり[1][2][8]、1917年には小田柿捨次郎の家で大正海上火災保険設立の懇談会に参加。1918年には大正海上火災保険創立発起人となり、設立後は初代取締役会長に就任[9]。1920年東京地下鉄道発起人総代[10]。墓所は1908年3月に建立され、現在は多磨霊園13区1種5側に所在する。

脚注

  1. ^ a b c d 飯田義一(読み)いいだ ぎいち朝日日本歴史人物事典の解説
  2. ^ a b c d 「飯田 義一(読み)イイダ ギイチ」20世紀日本人名事典の解説
  3. ^ 鉄道院参事補飯田義一外三名叙勲国立公文書館アジア歴史資料センター
  4. ^ 鉄道局技師飯島直二外十九名叙位ノ件国立公文書館アジア歴史資料センター
  5. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 75頁。
  6. ^ 加藤幸三郎「インド棉花における内地直買の歴史的性格」『専修経済学論集』第46巻第1号、専修大学経済学会、2011年7月、1-18頁、doi:10.34360/00000718ISSN 0386-4383CRID 1390853649755202560 
  7. ^ 「三井物産(株)『挑戦と創造 : 三井物産一〇〇年のあゆみ』(1976.07)」渋沢社史データベース
  8. ^ 官報 1915年6月24日 五七九頁
  9. ^ 「大正海上火災保険(株)『大正海上火災保険株式会社四十年史』(1961.05)」渋沢社史データベース
  10. ^ 東京地下鉄道(株)『東京地下鉄道史. 乾』(1934.06)渋沢社史データベース


先代
渡辺専次郎
三井物産専務理事
1908年 - 1909年
次代
株式会社に改組
先代
新設
大正海上火災保険会長
1918年 - 1924年
次代
平生釟三郎



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「飯田義一」の関連用語

飯田義一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



飯田義一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの飯田義一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS