戸塚球場
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戸塚球場(とつかきゅうじょう)は、1902年(明治35年)に早稲田大学が設けた野球場。日本野球の草創期、学生野球を中心に使用され、日本で初めて照明を設置し、ナイターが行われた。後に安部球場と改称。1987年末に閉鎖され、現存しない。跡地は早稲田大学総合学術情報センターとなっている。
- ^ a b 波多野勝、2001年、「第三章 伝説の日米決戦」、『日米野球史 メジャーを追いかけた70年』、PHP研究所〈PHP新書〉 pp. 34
- ^ a b 造事務所、2014年、「始球式の元祖となった野球部は現在も女人禁制」、『早稲田大学の「今」を読む OB・現役学生なら知っておきたい大学の真実』、実業之日本社〈じっぴコンパクト新書〉 pp. 62
- ^ 但しこれは、五大学野球連盟側の選択に因るものではなく、戸塚球場が当時としては東京都内の有数な球場であったことに加え、日本国内の大学野球の草創期当時の東京六大学野球リーグの確定とその後の東都大学野球リーグ設立にまつわる複雑な諸事情から、当時の早稲田野球部が新リーグの設立を支援した結果の表れとも言われている。
- ^ 読売ジャイアンツについては、当球場で1936年7月3日に行われた大東京軍との試合を球団初勝利とされている(同年7月4日付読売新聞) 『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。p.12
- ^ a b c “安部球場 日本野球史のホームグラウンド”. 早稲田大学 (2016年8月31日). 2020年10月2日閲覧。
- ^ 早稲田大学大学史編纂所 『早稲田大学百年史』 第三巻 1987年、952-953頁
- ^ 『早稲田大学百年史』 第三巻 1119頁
- ^ 「早稲田大学野球部五十年史」において名称は「出陣学徒壮行早慶戦」となっていることから、名称をそれに合わせる。
- ^ 早稲田大学旧安部球場跡|聖地・名所150選|野球伝来150年特設サイト
- ^ 井伏鱒二 『随筆 早稲田の森』 新潮社、1971年、192-194頁
- ^ 『東京朝日新聞』 1923年12月25日
- ^ 飛田穂洲 『学生野球とはなにか』 恒文社、1974年、154頁
- ^ 『東京朝日新聞』 1914年11月17日
- ^ 森茂雄ほか 『六大学野球部物語』 ベースボール・マガジン社、1956年、32頁
- 1 戸塚球場とは
- 2 戸塚球場の概要
- 3 歴史
- 4 その他のエピソード
- 5 ギャラリー
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