戸塚洋二とは? わかりやすく解説

とつか‐ようじ〔‐ヤウジ〕【戸塚洋二】

読み方:とつかようじ

19422008物理学者天文学者静岡生まれ小柴昌俊師事し、カミオカンデ・スーパーカミオカンデの建設たずさわる平成10年1998)、ニュートリノ質量があることを確認平成16年2004文化勲章受章


戸塚洋二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/02 02:05 UTC 版)

戸塚 洋二
2003年8月15日、
フェルミ国立加速器研究所にて
生誕 1942年3月6日
日本 静岡県富士郡吉永村字富士岡
(後の旧吉原市富士岡、現:富士市富士岡)
死没 (2008-07-10) 2008年7月10日(66歳没)
日本 東京都
国籍 日本
研究分野 素粒子物理学
ニュートリノ天文学
研究機関 東京大学
高エネルギー加速器研究機構
出身校 東京大学
博士課程
指導教員
小柴昌俊
主な業績 ニュートリノ振動を確認
主な受賞歴 仁科記念賞 (1987年)
朝日賞 (1988年) [注 1]
ブルーノ・ロッシ賞 (1989年) [注 2]
パノフスキー賞 (2002年)
ベンジャミン・フランクリン・メダル (2007年)
プロジェクト:人物伝
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戸塚 洋二(とつか ようじ、1942年昭和17年)3月6日 - 2008年平成20年)7月10日[1])は、日本の物理学者学位は、理学博士東京大学特別栄誉教授

静岡県吉原市(現・富士市)出身。富士市名誉市民(第1号)[2]。2002年文化功労者、2004年文化勲章、2008年従三位

経歴

2003年8月15日、ドイツ電子シンクロトロン所長アルブレヒト・ワーグナー(左)、フェルミ国立加速器研究所所長マイケル・ウィズレル(中央)と

1960年、静岡県立富士高等学校卒業、1965年、東京大学理学部物理学科卒業。1972年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士。その後、東京大学理学部教授を経て1988年東京大学宇宙線研究所教授。

1995年には神岡宇宙素粒子研究施設長に就任、1997年からは東京大学宇宙線研究所長。翌1998年スーパーカミオカンデニュートリノ振動を確認しニュートリノ質量がゼロでないことを世界で初めて示した。2001年に起きたスーパーカミオカンデの光電子増倍管の70%を損失する大規模破損事故の責任をとり、東京大学を辞職した[要出典]。翌2002年には高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所教授となった。2003年より2006年まで同機構長。

2008年7月10日直腸ガンのため死去 (66歳没) 。2002年のノーベル物理学賞受賞者・小柴昌俊の愛弟子の一人だった。小柴は文藝春秋2008年9月号に寄稿した追悼文集「弟子の弔辞を読む痛恨」において、戸塚の告別式での弔辞で「あと十八ヶ月、君が長生きしていれば、国民みんなが喜んだでしょう」と、ノーベル賞受賞を期待されながらの死去を惜しんだことを明かしている。没後の2009年平成基礎科学財団が戸塚の功績を記念して「戸塚洋二賞」を創設した[3]。なお、同じく小柴門下の一人にして戸塚から指導を受けた人物であり、第1回の「戸塚洋二賞」受賞者でもある梶田隆章が2015年にノーベル物理学賞を受賞し、戸塚が果たせなかった悲願を実現させる形となった[4]

通常、高レベルな自然科学の研究には多数の学者がメンバーとして参加している場合がほとんどであり、ノーベル賞の自然科学部門では1つのテーマにつき代表者3人までの受賞が認められているが、2015年度のノーベル物理学賞受賞者に選ばれたのは上記の梶田隆章とアーサー・B・マクドナルドの2人だけであった。これは、本来であれば受賞者の一人に選ばれるはずだった戸塚のためにノーベル賞選考委員会が3人目の受賞者の枠をあえて空席としたのではないかと見なす意見もあり、梶田もそのように考えているとNHKの特別番組で語ったことがある[5][6][7][8]

仲間

  • 佐藤勝彦 - 小柴のノーベル賞受賞時に電話を受けていた人物でもあり、東京大学時代の同僚でもある。

受賞歴

栄誉

著書

2003年8月15日、フェルミ国立加速器研究所所長マイケル・ウィズレル (左) と

単著

  • 『陽子はこわれるか』(丸善 1986年)
  • 『現代の宇宙像・我が太陽と太陽からのニュートリノ』(培風館 1991年)
  • 『岩波講座 現代の物理学1 素粒子物理』(岩波書店 1992年)
  • 『地底から宇宙をさぐる』(岩波書店 岩波科学ライブラリー)
  • 『がんと闘った科学者の記録』(文藝春秋 2009年・戸塚 洋二 (著), 立花 隆 (編集))

共著

  • 『新しい宇宙の探求』 (岩波書店 1990年)

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ a b 「神岡観測グループ」代表者として
  2. ^ a b カミオカンデチームの一員として[9]

出典

  1. ^ “訃報 戸塚洋二・前KEK機構長が死去”. (2008年7月17日). https://www.jaif.or.jp/news_db/data/2008/0717-2-8.html 2020年2月11日閲覧。 
  2. ^ 富士市名誉市民 第1号 戸塚洋二氏”. 2015年12月28日閲覧。
  3. ^ 折戸周治賞・戸塚洋二賞”. 平成基礎科学財団. 2015年12月28日閲覧。
  4. ^ ノーベル賞:梶田さん、兄貴分の無念晴らす Archived 2015年10月8日, at the Wayback Machine. 毎日新聞 2015年10月7日閲覧
  5. ^ 【竹内薫:科学エッセイ】3人目のノーベル物理学賞”. 2015年12月28日閲覧。
  6. ^ 伊東乾 (2015年10月9日). “日本が圧倒的強さで当然受賞したノーベル物理学賞”. JBPRESS. 2015年12月28日閲覧。
  7. ^ 【感動秘話】ノーベル物理学賞に残された「もう一枠」~梶田隆章さんが師と仰ぐ戸塚洋二氏の功績とは”. 週刊現代 (2015年10月24日). 2015年12月29日閲覧。
  8. ^ "とことん知りたい!ノーベル賞". ヒューマン ドキュメンタリー. 12 December 2015. NHK総合
  9. ^ a b HEAD AAS Rossi Prize Winners”. アメリカ天文学会. 2008年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月6日閲覧。
  10. ^ 平成14年度 文化功労者及び文化勲章受章者(五十音順)−文部科学省(2009年10月25日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project

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