早稲田大学広末涼子入学騒動とは? わかりやすく解説

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早稲田大学広末涼子入学騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 09:15 UTC 版)

早稲田大学広末涼子入学騒動(わせだだいがくひろすえりょうこにゅうがくそうどう)では、1998年平成10年)に女性アイドル広末涼子早稲田大学自己推薦入試で合格し、翌1999年(平成11年)度に入学したことに関連する一連の騒動について記述する。

概要

広末の通う品川女子学院高等部理事長と当時の早稲田大学教育学部長渡辺重範が懇意であった。そしてこの教育学部長は広末の入学が発表される数ヶ月前から広末涼子は合格と発言していた[1]

広末は11月に教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格[1]。広末の入学の年でもある1999年の早稲田大学の入学試験の受験者数は、女子が309人の増加であったのに対し男子は2785人の増加であった[2]

当時の広末はトップアイドルであり、人気ドラマに立て続けに出演し紅白歌合戦にも出場するほどであった。当時の早稲田大学総長は第二の吉永小百合が来ると喜んでいたと言われていた[1]

広末は早稲田大学の入学式には出席しなかった[3]。初登校したのは入学式から3か月後の6月26日であった。初登校の日には取材陣が大挙して訪れ、学生や野次馬も集まってきて3000人越の大群衆となった。その日の講義終了後には大隈講堂前でマスコミ各社の記念撮影に応じた。それから下校しようとした時に報道陣と野次馬が広末に近付こうと四方八方から押し寄せてきてもみくちゃとなった[4]

噂の真相」が「不正入試疑惑」を報じており[1]1997年7月に入学反対の立て看板が登場したと「噂の真相」誌上で批判されることもあったが[5]、合格を祝う看板も掲げられている[1]。「文芸春秋」は、在学中にもかかわらず早稲田に登校していない時期に、交際中の伊勢谷友介が在学する東京芸術大学で広末が目撃されていたと報じている[6]

なお、広末は2003年10月6日に「女優業に専念したい」との理由で早稲田大学を退学している。しかし、同大学側では大規模事件となったスーパーフリー事件が広末の退学直前に発覚し、それへの対処に追われたことや、報道陣も同事件への取材で多忙を極めていたこともあり、広末の同大学退学はあまりマスコミに取り上げられることはなかった。

脚注

  1. ^ a b c d e 21年前の広末涼子の早稲田入学の大騒動は何だったのか?”. 朝日新聞社. 2020年12月7日閲覧。
  2. ^ 広末「早大受験」で志願者激増”. 東京スポーツ新聞社. 2020年12月7日閲覧。
  3. ^ 元早大総長が明かす広末涼子入学騒動”. 東京スポーツ. 2020年12月7日閲覧。
  4. ^ 広末涼子が早稲田入学! 初登校に3千人が集結した狂想ぶりを振り返る”. エキサイト. 2020年12月7日閲覧。
  5. ^ 『早大に自己推薦入学試験で合格した話題の広末涼子不正入試疑惑の真相』噂の真相、1999年2月。 
  6. ^ 「バカかお前?」大麻逮捕・伊勢谷友介 東京藝大生たちが忘れられない“高飛車すぎる女の振り方”と広末涼子の影”. 文芸春秋. 2020年12月7日閲覧。



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