日本運動協会の解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 02:01 UTC 版)
しかし、その直後の9月1日に関東大震災が発生。芝浦球場は震災自体には耐えたものの、救援物資置場として戒厳司令部に徴発されてしまう。当初は非常時故にやむを得ないとして、仙台や戸塚球場などで試合をしていた協会であったが、翌1924年(大正13年)になっても芝浦球場は返還されず、それどころかグラウンド上に倉庫が新たに建てられていた。ここに及んで当局に返還の意図がないことを悟った協会は、本拠地なしでは長く興行を続けていくことは不可能と判断し、解散を決定。1月23日、マスコミに解散が発表された。なお、天勝野球団も、震災によって自然消滅的に解散している。
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