日本道路公団の総裁解任
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「道路関係四公団」の記事における「日本道路公団の総裁解任」の解説
2003年(平成15年)5月中旬、日本道路公団が債務超過に陥っていることを示す財務諸表を入手したとする新聞報道があり、この財務諸表の事実関係について国会で質問が行われた。7月10日には、同公団四国支社副支社長の片桐幸雄が月刊誌『文藝春秋』8月号で「道路公団藤井総裁の嘘と専横を暴く」と題した手記を発表し、同公団が債務超過であるとする「幻の財務諸表」を公団総裁の藤井治芳が隠蔽した疑いがあると主張した。これに対し公団と藤井は7月25日、手記が名誉毀損に当たるとして、片桐と文藝春秋に対し3000万円の損害賠償と文芸春秋の1ページ全面の謝罪広告掲載を求める民事訴訟を東京地裁に提起した。 この事態に対し、国土交通大臣の石原伸晃は同年10月24日、正確な事実関係を確認するための適切な対応を行わなかったとして藤井を解任した。解任は日本道路公団法に基づくもので、民営化の検討が進む重要な時期において、報道された財務諸表について8月までデータの存在を確認できず、国会での答弁内容が都度変遷した上に不誠実な答弁を繰り返し、国会や道路関係四公団民営化推進委員会、マスコミ等に一方的な見解に基づく対応を続けるなど、一連の対応が日本道路公団に対する国民の信頼を著しく損ねたことに加え、一部の公式行事等を除いて秘書以外に自身の居場所を知らせず、理事等も秘書を通じてしか外出中の藤井に連絡できないといった組織運営手法などが、同法第13条第2項本文規定の「その他役員たるに適しないと認めるとき」に該当するとされた。 後任の総裁が決定していなかったため、総裁の解任後は日本道路公団法第9条第2項の規定に基づき、副総裁の村瀬興一が総裁の職務を代行した。同年11月13日、元伊藤忠商事常務で参議院議員1期目(第19回参議院議員通常選挙当選)の近藤剛が総裁に内定したと報じられ、近藤は11月17日に議員辞職し、11月20日に総裁に就任した。11月27日、日本道路公団は前述の片桐と文藝春秋に対する訴訟を取り下げた。 なお、一連の問題をめぐる議論の中で推進委員会やマスコミが「赤字」との表現を用いる場面があったことについて、高橋洋一は個別の路線ではなく公団全体で見れば赤字ではなかったと指摘している。高橋は、道路関係四公団のうち本四公団を除いては収入が支出を上回る状態であり、DCF法で試算して2兆円から3兆円程度の資産超過(黒字)となっていたが、学者やマスコミは保有資産の時価総額のみで試算した結果、四公団は6兆円から7兆円の債務超過とする情報を流していたとしている。また、高橋は「借金の存在=悪」という考え方は必ずしも正しくなく、借金とはストックの概念であり、将来にわたってフローの健全性が見込めるのであれば借金の存在自体はなんら問題はない、本四公団を除いた各公団はフローで「黒字」であったことから、借金の存在だけをもってただちに道路関係四公団を批判することは、的外れであるとも主張している。
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