日本進出成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:32 UTC 版)
地元のアメリカに次いで世界第2位規模の音楽市場を持つ日本には、アキ・花沢とヒュー・尾崎という日本の業者が接触したことをきっかけに1979年にレコード卸業として進出し、翌1980年4月には日本1号店を札幌に出店した。なおこの札幌店は、かねてから「タワーレコード」の商標を無断で使用(しかしローマ字表記は本物の「TOWER RECORDS」ではなく、「TOWER RECORD」と誤って使用)していた地元の店舗を、正式な契約を結んだ上で継続営業させたものであった。 なお最初は卸のみであったが営業が芳しくないことから、後に直接販売を企画した。その後アメリカからタワーレコードの生えぬきの社員のマーク・ヴィドシッチを送り込み、日本法人の設立と店舗を準備した。 1981年に渋谷区宇田川町に初の大規模店舗をオープンした。この店舗では日本盤ではなくアメリカ盤(輸入盤)を直接販売し、店舗でのプロモーション展開も本場のタワーレコード方式を取り、日本のレコード業界の流通に大革命を与えるほどの大きな成功をおさめた。また日本市場には、HMVなどの外国企業の後追い進出も相次いだ。 次いで1980年代に横浜や仙台、大阪、名古屋、京都、福岡など日本全国の大都市への展開を進め、バブル景気にも助けられて大きな成功をおさめ、その成功によりその後の国際展開に弾みがつくことになった。 なお、タワーレコードのコーポレート・ボイスである「NO MUSIC, NO LIFE.」は、まず日本支社で開発、使用され、その後アメリカ国内や海外でも採用されるようになった。
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