塩澤昌貞とは? わかりやすく解説

塩澤昌貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 05:46 UTC 版)

塩澤昌貞

塩澤 昌貞(しおざわ まささだ、1870年11月14日明治3年10月20日) - 1945年昭和20年)7月7日)は、茨城県水戸出身の経済学者法学博士早稲田大学第4代学長、第2代総長。

略歴

著書

単著

  • 『国民経済学原論』広文堂書店、1923年4月。NDLJP:971297 
  • 『思想問題』陸軍東京実業講習会、1924年10月。 
  • 新日本同盟編 編『欧州社会運動の新傾向』新日本同盟〈新日本同盟パンフレット 4〉、1925年10月。 
  • 『国民主義と国際主義』教化団体聯合会〈教化資料 第44輯〉、1926年4月。NDLJP:986575 
  • 『国民経済学原論』早高堂書店、1926年4月。NDLJP:971298 
  • 『現代社会経済思潮に就て』日本工業倶楽部内経済研究会〈経済研究叢書 2輯〉、1928年。 

翻訳・校訂

  • イーリー 著、家永豊吉・塩澤昌貞 訳『米国州市租税論』東京専門学校、1893年6月。NDLJP:800187 
  • イーリー 著、家永豊吉・塩澤昌貞 訳『威氏租税論』丸善、1894年5月。NDLJP:799977 
  • ケブナー 著、塩澤昌貞 訳『植民政策』大日本文明協会事務所、1913年7月。NDLJP:949657 
  • コスモス 著、煙山専太郎 訳『永続すべき平和の基礎』塩澤昌貞校訂、早稲田大学出版部、1917年11月。NDLJP:776573 

論文

ボート競技

早稲田大学時代にボート競技に取り組んだことが縁で、晩年、日本漕艇協会会長に就任した。1940年(昭和15年)戸田漕艇場オープン時のデモンストレーションでは、会長として70歳台艇に乗り込み舵手を務めた[3]

脚注

  1. ^ 塩澤昌貞『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  2. ^ 第二次大戦末期早稲田大学百年史
  3. ^ 漕ぎ初め式、古希艇や還暦艇も出場『東京日日新聞』(昭和15年11月1日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p549 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

参考文献

関連項目

外部リンク





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