家永豊吉とは? わかりやすく解説

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家永豊吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/28 05:45 UTC 版)

家永豊吉(右端、1877年)

家永 豊吉(いえなが とよきち、1862年12月6日文久2年10月15日) - 1936年昭和11年)12月29日)は、熊本バンドのメンバーである。別名辻豊吉

家永遠之助・梅の子として筑後柳川に生まれる。

熊本洋学校に入学する。熊本洋学校にいた頃は辻豊吉と名乗る。1876年(明治9年)のL・L・ジェーンズより洗礼を受ける。その後、同志社英学校に入学する。大久保真次郎や徳富猪一郎(蘇峰)とは親しかった。しかし、1880年頃、同志社を中退し、東京に移動する。何度か、友人徳富蘇峰が編集していた『国民之友』に投稿している。

1884年にオベリン大学に入学し、特待生になり、1886年に卒業する。さらに、ジョンズ・ホプキンス大学に進み、1890年に哲学博士号(Ph.D)を取得して帰国した。

1890年(明治23年)より、東京専門学校(現・早稲田大学)の講師になり、政治学部の改革に尽力。1892年(明治25年)永井ゑい子(松本ゑい子)と結婚したが、数年で離婚。1893年(明治26年)に慶應義塾教授、10月に東京高等商業学校の教授になり、1897年(明治30年)英語力を買われ外務省に入省する。

その後、渡米してコロンビア大学で日本に関する講義を担当する。しかし、アメリカ滞在中ニューヨーク州オニーダ湖に張った氷の亀裂に落ちて溺死した。

著書

参考文献

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年

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