大平正芳が出馬を決意
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「1978年自由民主党総裁選挙」の記事における「大平正芳が出馬を決意」の解説
1978年になると公選を見据えた派閥レベルの動きが活発化する。2月中旬には自民党役員会が「派閥活動を自粛するよう申し入れる」と声明し、大福の「政治休戦」と言われたが、18日には大平の地元の自民党香川県連が大平を総裁候補として推薦する決議を行っている。5月26日には読売新聞が「大平氏 公選出馬を決意」と報じる。両院議員による本選挙を行った場合、大平が過半数を獲得すると見込まれていた。一方、福田の路線は大福一体の継続のもとでの再選であり、大平が出馬しなければ福田は再選後の任期前半で禅譲すると大平に伝えたが、大平は出馬辞退を受け入れなかった。 そこで福田は衆議院解散・総選挙を行ってそこそこの成果を残し、文句なしの続投を勝ち取ろうとする。総選挙で自民党が勝利すれば福田再選への流れとなり、敗北すれば選挙責任者である幹事長の大平が福田よりも責任を問われることになる。大平サイドは当然反発し、6月6日、金丸信防衛庁長官(田中派)は内閣委員会における答弁の中で「大義なき解散には反対である。解散の閣議があった場合、自分は署名しない」と発言した。16日、国会閉会日の代議士会では大平が「解散はないので、各自平常心で行動してもらいたい」と打ち消した。当時の伯仲国会における政局を理由として解散とするシナリオが考えられたが、自民党幹事長の大平が新自由クラブ幹事長の西岡武夫と話をつけているため、たびたびの政局化しそうな局面でも与野党の折衝が早々にまとまり政局とはならなかった。8月12日に中国との交渉が妥結し日中平和友好条約が調印されたことで福田政権の人気が上昇し、解散が無くとも福田の再選が見込まれるようになり、また条約批准の日程上も解散は難しくなった。さらに8月27日には大平の地元の香川県知事選挙で自民党公認の大野功統が落選し大平の失点となり、福田の再選を後押しする要素に数えられた。これらの情勢の下、衆議院解散は行われなかった。 10月14日の記者会見で、大平は「この臨時国会で大福体制は終焉する」と発言し、大福対決の姿勢を鮮明にした。 当初は、中曽根と河本が予備選2位以内につける可能性は薄く、事実上の福田・大平一騎打ちとなると考えられた。大福両陣営とも予備選通過は当然と考え、本選における政治的効果を見据えて予備選で点数を積み上げることが意図された。 マスコミ各社はいずれも福田優勢を告げていた。10月10日の読売新聞は「福田過半数、中曽根急迫、大平振るわず」という世論調査記事を出した。10月16日の毎日新聞は「中曽根21%、大平20%」という世論調査記事を出した。10月21日の朝日新聞の世論調査記事も「1%差で中曽根2位、大平3位」と、揃って中曽根の食い込みを伝えた。11月16日の毎日新聞は「人気は『福』『中』『大』『河』の順」という見出しを掲げた。一方、大平を支援する田中派は独自の調査で「僅差で大平1位、福田2位」とはじき出し、大平が出馬辞退しないよう激励した。福田は本選では中曽根・河本が自身に投票するよう根回しをしつつ、「1回目の投票で100点差がついたら、2位の候補は本選を辞退すべきだ」と念を押していた。マスコミも本選での三木派の動向を注視していた。 10月21日、大平、中曽根、河本敏夫(三木派)が正式に出馬表明した。中曽根と河本は次回以降の総裁選を見据えた総裁候補としての披露目の意味合いが強く、さらには所属派閥内にそれぞれ福田・大平に近い有力議員がいたことから、派として大福いずれかを支持するわけにも、自主投票として派の求心力を低下させるわけにもいかなかったことからの出馬であった。 自民党では現職総理総裁が立候補をする総裁選で現職閣僚が立候補をする際には、閣僚を辞職することが慣例化していた(例として、1964年総裁選における佐藤栄作科学技術庁長官、1966年総裁選における藤山愛一郎経済企画庁長官や1968年総裁選における三木武夫外務大臣がある)。総理総裁が続投を望んで総裁選に立候補する場面において現職閣僚が総理総裁に反旗を翻して立候補をする構図になり、首相の閣僚罷免権があることから閣僚に留まれないためとされる。しかし、今回の河本は現職の通産大臣として総裁選立候補をした際に閣僚を辞任しないままであったが、河本の立候補は前述のように総裁候補としてのお披露目的要素が強かったこともあり、福田首相から閣僚罷免権を行使されることなく閣僚に在任し続けた。 福田は自らの不出馬による大福体制の維持を検討したが、結局は総裁選告示前日の10月31日に出馬を表明した。
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