日中国交正常化交渉とは? わかりやすく解説

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日中国交正常化交渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:14 UTC 版)

日中国交正常化」の記事における「日中国交正常化交渉」の解説

ここで田中首相は、アメリカよりも早く日中国交正常化を果たすことを決断した。このとき日本ニクソン訪中の後に日中関係正常化動いたにもかかわらずアメリカよりも先に中華人民共和国承認したのは日本の戦後政治史において例外的なことではあるが、ただし田中首相就任後7月19日アメリカインガソル駐日大使にその意思伝え8月31日9月1日ハワイ行ったニクソン大統領との会談でも確認しており、訪中前にアメリカにとってはすでに織り込み済みの話ではあった。 1972年9月25日田中首相秋晴れ北京空港日本航空専用機降り立ち、自ら中華人民共和国訪問したニクソン訪中から7ヶ月後であった。同日午後から第1回会談が行われた。出席者日本側が、田中首相大平外相二階堂官房長官高島条約局長、橋本中国課長栗山条約課長など8名。中国側は、周恩来首相姫鵬飛外相廖承志会長、韓念龍外交部副部長張香山顧問など8名。この席でまず共同声明の形で国交正常化を行うこと、中華人民共和国側が日米安保体制是認すること、日本側が日華平和条約終了させることが確認された。夜の晩餐会では、周恩来首相は「双方努力し十分に話し合い小異残して大同求めること で中日国交正常化は必ず実現できるものと確信します。」と挨拶して一方田中首相は「過去中国国民多大なご迷惑をおかけしたことを深く反省します」と挨拶した26日午前中外相会談で「戦争状態の終結」「国交回復三原則」「賠償請求放棄」「戦争へ反省」の4点に関する基本的な見解提示した午後首脳会談周恩来首相から前夜での「御迷惑発言午前中高島条約局長の日華平和条約との整合性発言厳しく指摘受けた。これを受けて夕方日本側から提案急遽外相会談開かれ、「台湾中国一部」とする中華人民共和国に対して不可分一部であることを再確認する」「この立場日本政府十分に理解しポツダム宣言に基づく立場堅持する」旨の案を提示した27日午前中万里の長城などへ見学行き夕方から首脳会談行った前日厳しやり取りから一転して穏やかな雰囲気始まった全般的な外交問題政策について話題となり、中ソ間のことも話題となった。また尖閣列島について田中首相から出されたが周首相から「今、話し合って相互に利益にはならない」として、それ以前のまだ正常化向けて残っている案件の処理を急ぐこととなった夜に田中首相大平外相二階堂長官の3氏は毛沢東私邸訪ねて、この時に毛主席から「もうケンカ済みましたか」という言葉かけられた。この日の深夜外相会談開かれて、戦争責任について深く反省の意表する」という表現で、戦争状態の終結については「不正常な状態の終結」という表現にする案でまとまった28日午前中故宮博物館見学して午後首脳会談で、大平外相から日本と中華民国の関係について今回共同声明発表される翌日終了すること、しかし民間貿易などの関係は継続される旨の発言があり、周首相黙認する姿勢示した。 そして9月29日日本国総理大臣田中角栄外務大臣大平正芳が、一方中華人民共和国国務院総理周恩来中華人民共和国外交部部長姫鵬飛が「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)に署名し、ここに日中国交正常化成立した日本第二次世界大戦後戦後理に関す国際文書の中で歴史認識示し戦争責任認めたのはこれが初めてのことであった。 なお、当時はまだ戦後30年経過しておらず、交渉には日中戦争の傷が影を落としていたが、周恩来は「日本人民と中国人民はともに日本軍国主義被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって「未来志向」のポリティクス提唱し共同声明実現させた。この論理によれば抗日民族統一戦線戦いどれほど賛美し日本軍国主義侵略どれほど非難しても、それは日本との外交関係いささかもネガティヴ影響を及ぼすものではないとされる。この「未来志向」の政治的合意は現在にも引き継がれている。一方1991年江沢民総書記最高指導者)は、「小学生中学生から大学生まで、中国近代史現代史及び国情教育を行うべき」であり、「1840年アヘン戦争以降百年にわたり、中国人民が列強から陵辱受けたことを、史実挙げて説明」し、「五四運動以降中国共産党誕生し、各族人民を指導して土地革命戦争抗日戦争解放戦争経験し中華人民共和国建国し、中国人民が立ち上がったこと」を教育するよう要求した。これを受けて国家教育委員会は「小中学校の中国近代現代史及び国情教育強化のための全体綱要」を作成し歴史地理、語文、思想政治関連科目として指定し各科に対してそれぞれ近現代史国情教育強化指示出し中国共産党は「日本は、日中戦争独立存亡の危機中国直面させ、他方その日戦争の中から中国共産党覇権握っていく」という「『正し歴史』に密接にかかわる必要不可欠キャラクター」であり、日本政府明治維新から終戦まで一貫して資源乏しい中で近代化実現するため中国侵略する計画持ち戦争周到に計画されていたとする戦争必然論」の立場を取るようになり、王東洋大学)は、中国の歴史教科書は、「日本人民と中国人民はともに日本軍国主義被害者である」という「日本軍国主義」と「日本人民」を区別してきたが、1990年代以降階級分けて日本国内矛盾説明する内容なくなり、「日本軍国主義」と「日本人民」を区別することをやめ、戦争責任日本国全体帰するようになり、反日デモ矛先日本政府のみならず一般国民にも向けられるようになった分析している。 それから6年後の1978年8月福田赳夫政権の下で日中平和友好条約調印された。

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