日中戦争から崩潰へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/10 02:12 UTC 版)
1937年の日中戦争勃発以前、法幣の総発行高は14億4,400元に達した。1937年から1941年の期間中、日本は中国の経済破壊を目的に占領地に於いて軍票等を発行し法幣を回収し、それを上海に送り国民党政府の外貨を消費させた。これに対し国民政府はイギリス、アメリカより1,000万ポンドと5,000万ドルの借款を受けて法幣の信用維持に努めたが価値の下落が続き、1940年には外貨への交換に制限額定められ、これを契機に法幣の価値は一気に下落した。 日中戦争期間中、増加し続ける財政支出を補填する為に法幣が大量に発行され、1945年の終戦時には発行高は5,569億元、戦前の400倍まで規模が膨らんだ。1946年以降、国民党政府は国共内戦での戦費調達に更に法幣を大量に発行し、1948年8月には発行高は604兆元にまで及び、僅か3年間で1,000倍にまで増加し、市場にスーパーインフレを招来した。あまりにも価値の下がった法幣は製紙会社の原料に使われるまでになったという。宋子文が行政院長に就任すると、法幣の安定を図るために備蓄金を放出して貨幣安定を試みるが、法幣の発行量に追いつかず失敗に終わった。1948年5月に行憲選挙が行なわれ翁文灝が行政院長に任命されると、王雲五を財政部長に任命し貨幣改革を実施、新に金円券を発行し法幣の流通を停止した。
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