日本軍による紙幣偽造とは? わかりやすく解説

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日本軍による紙幣偽造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 07:11 UTC 版)

中華民国期の通貨の歴史」の記事における「日本軍による紙幣偽造」の解説

1938年昭和13年1月16日近衛内閣は、「国民政府相手とせず」との内閣声明出し、自ら和平の道を絶ち5月26日五相会議で、「五相会議属し其の決定に基づき専ら重要なる対支謀略並びに支那中央政府樹立に関する実行機関としての「対支特別委員会」が設けられることになったここから日中戦争打開策として本格的な対支謀略作戦展開されることになった。 その具体化として6月28日には、「時局ニ伴フ対支謀略」の原案決定された。この謀略方針は、一つ政治謀略として親日派による政権樹立をはかり、もう一つ経済謀略によって蔣介石政権崩壊図ろうとするものであり、この二つ連動すべきものとされた。そして、方針具体策の第5として「法幣崩落図り支那在外資金取得することにより、支那中央政府財政的に自滅せしむ」ことがあげられていた。1938年12月ごろ「対支経済謀略実施計画」(秘匿名計画」)がまとめられた。神奈川県川崎市(旧・生田村にあった陸軍第九研究所(別名登戸研究所)に、山本大佐製造責任者とする法幣偽造チーム集まった上海には偽造した通貨使用する役割の「松機関」が置かれた。 「登戸研究所#研究・開発された兵器」も参照 法幣偽造作戦は、陸軍省参謀本部指揮した国家プロジェクトであった1940年昭和15年)にはドイツ・ザンメル社製の高価な印刷機購入して通貨偽造工場完成させ、1941年昭和16年)から本格的に量産始めた地元神奈川県女子生徒集め新品偽札汚れや皺を付けさせた上で上海運び金塊貴金属食糧などを買い付けた。1942年昭和17年)には日本軍占領した香港紙幣印刷工場法幣原版発見し、これをもとに本物そっくり偽札量産できるようになったこの年の夏ごろから大量偽造紙幣印刷できるようになり、長崎経由して上海運ばれて、その額面毎月1億円から2億円にのぼった国民党政府も「法幣」を大量発行しており、通貨価値は下がり続けていた。発行額は、戦争開始直前1937年6月には14億元だったのが、1948年8月には660億元となった。この法幣乱発と、偽造通貨とがあいまって日中戦争後中国経済大混乱に陥れ、国民党から民心離反させる一因となった詳細は「法幣#日中戦争から崩潰へ」を参照

※この「日本軍による紙幣偽造」の解説は、「中華民国期の通貨の歴史」の解説の一部です。
「日本軍による紙幣偽造」を含む「中華民国期の通貨の歴史」の記事については、「中華民国期の通貨の歴史」の概要を参照ください。

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