日中戦争での戦死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 13:27 UTC 版)
1933年(昭和8年)8月少佐に進級。盧溝橋事件勃発翌月の1937年(昭和12年)8月、内地帰還と歩兵第2連隊附を命ぜられる。同年10月、新たに編成された歩兵第102連隊大隊長に進み、11月中佐に進級する。102連隊は日中戦争への動員で杭州湾に上陸する。東宮は柳川平助中将指揮する第10軍麾下の一隊として部下の先頭に起って前進中の11月14日、浙江省平湖県(上海の南西)の草原でクリーク(水路)から上がる際に左胸に被弾。部下に鉛筆とノートを出させ「うれしさや秋晴れの野に部下と共」と辞世の句をしたためて絶命した。死後大佐へ特進する。後年、郷里にて記念事業委員会が設けられたほか、佳木斯に「東宮記念館」が建てられ、1939年(昭和14年)に伝記『東宮鉄男伝』が刊行された(非売品)。
※この「日中戦争での戦死」の解説は、「東宮鉄男」の解説の一部です。
「日中戦争での戦死」を含む「東宮鉄男」の記事については、「東宮鉄男」の概要を参照ください。
- 日中戦争での戦死のページへのリンク