日中戦争での活躍、雲南省政府主席就任とは? わかりやすく解説

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日中戦争での活躍、雲南省政府主席就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 21:33 UTC 版)

盧漢」の記事における「日中戦争での活躍、雲南省政府主席就任」の解説

1937年民国26年)、日中戦争抗日戦争)が勃発すると、盧漢国民革命軍60軍長任命された。そして李宗仁配下として台児荘戦役などに参加し活躍した以後、第30軍団軍団長第1集団軍総司令第1集団軍総司令歴任する戦争末期には第1方面軍総司令就任した1945年民国34年8月日本降伏すると、盧漢第1方面軍率いてベトナム入りし、土橋勇逸率い日本軍降伏受諾事務担当した同年10月蒋介石は、「雲南モンロー主義に基づき反中央的な活動をする竜雲を、雲南省政府主席から罷免した。当初蒋介石は、竜の後継者目されていた盧漢主席就任を望まなかった。そのため、中国国民党長老雲南省出身李宗黄後任あてようとした。 しかし、李宗黄雲南省内の各階層から人望無く、省内の激し反発により混乱惹起した。そのため蒋介石止むを得ずそのまま盧漢後任とした。ハノイから昆明帰還した盧は、12月1日就任宣誓行い以後4年間に渡り雲南省統治する。盧の統治傾向も竜同様に雲南モンロー主義」的であった。それにより、蒋ら国民政府中央暗闘しながら独自路線模索していく。さらに統治終盤には、中国共産党各種民主党派秘密裏連携した1949年民国38年12月9日盧漢中華人民共和国帰順することを宣言した昆明起義)。まもなく顧祝同命令受けた国民党軍昆明攻撃してくる。盧はこれを凌ぎ1950年2月中国人民解放軍迎え入れた同年3月盧漢雲南省軍政委員会主任就任している。その後西南行政委員会副主任全国人民代表大会常務委員中国人民政治協商会議全国委員会常務委員中国国民党革命委員会中央常務委員国防委員会委員などを歴任した1974年5月13日北京死去享年80(満79歳)。その5日後に追悼会が開かれている。

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