日中和平工作
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父である毅が清朝期の中国革命活動を支援し、孫文らと交流があったため健も幼い頃から中国の政治家らと深いかかわりを持っていた。五・一五事件で父が暗殺された後は、その遺志を継ぐべく、影佐禎昭や今井武夫らとともに、泥沼化する日中戦争期間中、和平工作に全力を注いだ。特に汪兆銘(汪精衛)を擁して、日本占領下の南京に汪兆銘の国民政府を設立させる活動に傾注した。このときの出来事を著書『揚子江は今も流れている』(中公文庫)に残している。
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日中和平工作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:37 UTC 版)
今井は中国の要人と親しく、1936年に孔祥熙別邸で喜多誠一、雨宮巽、蔣介石、高宗武、銭大鈞とともに並んでいる写真もある。今井は冀察政務委員会の宋哲元、秦徳純、張自忠などの中国側の要人と盧溝橋事件で現地解決を勤めた。日中が全面戦争状態になると、国民党の汪兆銘との和平工作(汪兆銘工作)を、影佐禎昭中将(谷垣禎一衆議院議員の外祖父)らとともに担当。汪兆銘本人が期待したほど、中国国内から和平支持勢力が得られなかった。今井は南京に成立した汪兆銘政権の和平作業の補完として、1939年(昭和14年)9月、志願して南京の支那派遣軍参謀(一時期、報道部長兼務)として、重慶の抗日蔣介石政権との直接交渉「桐工作」などの和平工作に当る。
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