松岡外相の訪欧とスタインハート工作とは? わかりやすく解説

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松岡外相の訪欧とスタインハート工作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:58 UTC 版)

日米交渉」の記事における「松岡外相の訪欧とスタインハート工作」の解説

他方松岡外相は自らが進め四国協商三国同盟ソ連構想実現日ソ国交調整などを目的3月12日から4月22日にかけてソ連同盟国ドイツとイタリア訪れていた。 もっとも、四国協商に関しては、前年行われた独ソ間の交渉決裂していたため、ドイツ側松岡思惑とは異なり四国協商可能性強く否定したヒトラーはすでに対ソ攻撃決意しバルバロッサ作戦極秘裏に命令していた)。ドイツ側要請したのは、日本シンガポール攻撃、すなわち対英参戦であり、イギリス敗北時間の問題である、日本の軍事行動アメリカ参戦をも防げると執拗であったが、松岡シンガポール攻撃言質を与えることはなかった。 一方ソ連との交渉4月13日日ソ中立条約調印結実した難航した交渉をまとめた松岡は、日ソ接近により日本国際的地位強化し、来る対米交渉向けて「力の威圧」による外交道筋をつけたのであったハル国務長官日米交渉開始した背景には、この日ソ中立条約威力があったとの指摘もある)。その後松岡日独伊四国圧力で、アメリカ蔣介石政権援助停止させ、支那事変はあくまで日中間で解決するという方針追求することになるが、これはアメリカ仲介によって支那事変解決するという「日米諒解案」の構想とは相容れないものであったまた、松岡訪欧中に日米交渉布石として、駐ソ米国大使スタインハートと会談しルーズベルト大統領への伝言依頼していた(松岡ウォルシュドラウト通じた民間ルート忌避し正規外交ルート採用した背景には、民間人通じた日中和平工作銭永銘工作など)の失敗指摘されている)。往路帰路行われた二度会談松岡の「厳私信の手紙の内容摘記すると以下のようになる日本シンガポール含めオランダ英国米国領土攻撃しない 日本米国開戦する意図はない 日米戦争極東共産化もたらす 蔣介石が公正で正当な和平受諾しないならば、大統領アメリカの援助打ち切る告げるべきである ゴムスズ石油などで米国南方諸国貿易できること保証する 中国において米国権益侵しているような誤りがあれば日中戦争終結後賠償する 日本三国同盟義務を守る 日本米国戦争する義務有していないが、米国ドイツ宣戦すれば事態は変わるかもしれない 松岡東南アジアの安全の保証中国問題取引しようとしたではないか思われるまた、3月14日野村大使とルーズベルト最初の正式会談では、ルーズベルト三国同盟への強い懸念表明していたが、松岡三国同盟に基づく対米参戦示唆して米国牽制した。これらの内容はスタインハートからハル報告されたが、ハルルーズベルトさしたる関心を示すことはなく、松岡対米工作空振りに終わることになる。

※この「松岡外相の訪欧とスタインハート工作」の解説は、「日米交渉」の解説の一部です。
「松岡外相の訪欧とスタインハート工作」を含む「日米交渉」の記事については、「日米交渉」の概要を参照ください。

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