メイクテーラの防衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 04:24 UTC 版)
第15軍は第18師団および各種部隊を引き抜いてメイクテーラへ転用するよう処置し、さらに方面軍はペグー付近に集結中の第49師団に第15軍と協力してメイクテーラ南方より攻撃するよう命じた。このときメイクテーラには兵4千名程しかおらず、しかも他方面への転用が決まっている部隊が多く、実際には1千数百名しか使えなかった。この兵たちも多くは輜重兵や戦闘可能な病院患者によって臨時に編成された者たちである。 ニャングより前進する英第4軍団の第17インド師団および第255戦車旅団は、メイクテーラへと突進した。3月1日、英第17インド師団はメイクテーラ総攻撃を開始。英軍戦車に対し、日本軍は歩兵による肉薄攻撃、あるいはタ弾による直接砲兵射撃によって応戦し、惨烈な戦いを続けた。しかし3月3日にメイクテーラは陥落、残余の部隊は南方および東方へと敗走した。英第17インド師団は日本軍に推定2千名余りの損害を与え、砲約47門を鹵獲した。
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