メイクテーラ奪還戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 04:24 UTC 版)
北方より転進してきた第18師団は、3月8日夕方までにメイクテーラから30ないし40kmのウンドウィンに集結完了し、東飛行場奪還を目指して前進した。メイクテーラより反復出撃する英軍部隊により大損害を被りながらも、第18師団は16日黎明攻撃によって東飛行場を奪還した。イギリス軍はすかさず反撃して日本軍を撃退。日本軍はさらに第15軍の重砲兵によって東飛行場を制圧し、英軍の補給を妨害し続けた。 3月4日ごろより逐次ピョーペに集結した第49師団は、メイクテーラへ向かって北へ前進し、14日夜東飛行場へ挺身攻撃をかけた。第49師団は第18師団の動向がまったく分からず、協調を欠いていた。これを解決するため、ビルマ方面軍は雲南方面を担当していた第33軍司令部を転用し、これを決勝軍と号して第18師団、第49師団を指揮させ、メイクテーラ奪還を命じた。決勝軍は3月18日、両師団の攻撃を22日夜と定め、各師団は攻撃準備。しかし英軍はたびたび出撃を敢行し各所で対戦車戦闘が惹起、日本軍は甚大な損害を被った。悪戦苦闘の中、第18師団、第49師団は予定通り22日東飛行場を夜襲した。第49師団はメイクテーラ南方および東飛行場南東より強襲、第18師団は東飛行場北より攻撃してある程度占領した。第18師団は28日まで陣地を占領し続けていたが、第18師団、第49師団とも当初の戦力の3分の1まで落ち込み、もはやメイクテーラ奪還は不可能となりつつあった。
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