日ソ中立条約以後とは? わかりやすく解説

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日ソ中立条約以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 17:23 UTC 版)

日ソ国境紛争」の記事における「日ソ中立条約以後」の解説

ノモンハン事件停戦後小規模な紛争引き続き起きたものの、大規模な戦闘生じなくなったノモンハン事件末期1939年9月第二次世界大戦始まっている状況の中で、日ソ外交交渉が行われた。そして、1941年昭和16年4月日ソ中立条約成立し相互不可侵モンゴル人民共和国および満州国領土保全定められた。 日本陸軍ノモンハン事件ソ連軍実力知り北進論否定的な見方出た。それでも、独ソ開戦翌月1941年7月には関東軍特種演習称する大規模な対ソ動員実行したが、開戦には踏み切らず、南進論に基づくアメリカ・イギリスとの太平洋戦争へと向かった他方ソ連軍独ソ戦主力注いだ結果紛争の発生件数1940年151件から、1941年には98件に減り1942年には58件まで減った満州国境の安定は、独ソ戦峠を越し日本戦況悪化した1943年秋頃まで続いたその後、再び紛争増加し始めソ連の対日参戦近付いた1944年昭和19年後半には五家事件虎頭事件光風事件、モンゴシリ事件など小規模な国境紛争起きた関東軍戦力多く南方日本本土転用してしまっていた日本側は、ソ連刺激しないよう紛争回避する方針を採った。しかし、最終的に1945年昭和20年8月日ソ全面戦争となり、満州全土ソ連占領された。

※この「日ソ中立条約以後」の解説は、「日ソ国境紛争」の解説の一部です。
「日ソ中立条約以後」を含む「日ソ国境紛争」の記事については、「日ソ国境紛争」の概要を参照ください。

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