ポツダム命令の方式
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ポツダム緊急命令と同日制定された昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)施行ニ関スル件(昭和20年勅令第543号)により、その形式は勅令(いわゆるポツダム勅令)・閣令・省令の3種とされ、また閣令・省令に規定できる罰則の限度も定められた。 この施行に関する件は、ポツダム緊急勅令の施行命令の性格であり、これ自体はポツダム命令ではない。立案当時、連合国軍最高司令官又はその代表者の要求が直接地方庁に対してなされ、府県令などの地方庁の命令の制定を要する事態が危惧されたが、これは好ましくないことからポツダム緊急勅令は、万一にそなえて広く「命令」としておき、一方普通の勅令(施行に関する件)をもって差し当たりその必要に従い命令の種類を勅令・閣令・省令のみに限定することし、罰則の限度も定めることとした。。最終的に地方庁の命令がポツダム命令とされることはなかった。 なお、昭和22年(1947年)5月3日の日本国憲法施行により、勅令、閣令という法形式は廃止されたが、昭和20年勅令第543号は、改正されず関係法令の規定で次のように読み替えるものとされた。 勅令は、政令と読み替える。 日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令(昭和22年政令第14号)第2項)による読み替え。 閣令は、総理庁令と読み替える。 日本国憲法施行の際現に効力を有する勅令の規定の効力等に関する政令(昭和22年政令第14号)第2項)による読み替え。 さらに総理庁令は、総理府設置後は、総理府令と読み替える。総理府設置法(昭和24年法律第127号)附則第5項による読み替え。 また司法省廃止後、法務庁が設置され、さらに1949年(昭和24年)6月1日に法務府となった。それぞれの時期に法務庁令、法務府令が制定されたが、ポツダム命令との関連では、法務庁令、法務庁令によりポツダム命令が制定できるかについては、後に法制局長官となる佐藤達夫が「法務府令に対する読みかえの読み替えはちょっと見当たらない。」とするくらいあやふなところがあるものの、ポツダム命令として法務庁令が6本(単独4本、他省との共同命令4本)、法務府令5本(単独1本、他省との共同命令4本)が制定されている。 閣令・省令については、昭和20年9月22日の閣議了解「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)ニ基ク閣令及省令ノ件」により閣議了解を事前(緊急の場合は事後報告)に行うとされた。 前述のようにポツダム命令の根拠となるポツダム緊急勅令は、法令番号としては通常の勅令と同じ番号付けをされ公布時の上諭まで参照しなければ判別できないが、これはポツダム命令一般についても同様であり、法令番号において通常の命令とポツダム命令は区別されておらず、上諭(勅令の場合)制定文(政令、省令等)に「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基」という文言があるかどうかを確認しないと判別できない。 更に一部改正の場合はこの文言を欠く事例がある。例えば死産の届出に関する規程は、昭和21年厚生省令第42号として制定された際は「昭和二十年勅令第五百四十二号(「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ命令ヲ発スル件)に基づき死産の届出に関する規程を次のように定める」とあったが、昭和22年2月1日厚生省令第4号による改正では「昭和二十一年九月厚生省令第四十二号(死産の届出に関する規程)の一部を次のように改正する」となっている。被改正法令がポツダム命令であるかないかを確認するしかない。 なお、公布の際にこの文言を欠いていた重要物資在庫緊急調査令(昭和23年3月27日政令第65号)について最高裁判所大法廷は「罰則を設けた政令を公布するに当つてその根拠を示さなかつたとしても、それだけでは直ちにその政令を無効であるとする二一とはできない。その効力如何は、罰則を設けることができる実質上の根拠があつたかどうかによるのである」として「本件政令第六五号は、その実質において「昭和二〇年勅令第五四二号ボツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」に基くものであるから」として形式的にポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基がなくてもポツダム命令であることがあると認めている。
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