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永井荷風

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 23:04 UTC 版)

永井 荷風(ながい かふう、1879年明治12年)12月3日 - 1959年昭和34年)4月30日)は、日本小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。に金阜山人(きんぷさんじん)、断腸亭(だんちょうてい)ほか。


注釈

  1. ^ 漢字の「荷」には、植物のハスの意味もある。
  2. ^ 「會社にしろ官省にしろ將来ずつと上の方へ行くには肩書がなければ不可(いか)ん」という父久一郎は「貴様見たやうな怠惰者(なまけもの)は駄目だ、もう學問なぞはよしてしまえ」と叫んだという[3]
  3. ^ 『永井荷風 人と作品43』85-86頁によると「父の一周忌が過ぎた頃、八重次との結婚を従兄永井松三に相談したが同意を得られず、これがもとで松三との間が気まずくなった。1916年5月には末弟の威三郎が東京のある工学博士の三女と結婚したが、この結婚には荷風と“別戸籍とすること、新居を構へること、結婚式當日荷風を参列させぬこと”などの条件付だった(『荷風外傳』による)。ために荷風は威三郎の結婚以後、次弟貞二郎を別として威三郎をはじめ親類縁者との交際も絶った」という。
  4. ^
    大正六年
    九月十六日 秋雨
    連日さながら梅雨の如し
    夜壁上の書幅を挂け替ふ[10]
  5. ^ 近所には俳優山形勲の父親が建てた本格的洋風ホテルがあり、正装して食事に訪れる姿を小学生だった勲が見ている(山形勲#来歴)。 川本三郎『荷風と東京-「断腸亭日乗」私註』「十 山形ホテル」 (勲へのインタビューあり)
  6. ^
    大正八年
    正月元旦
    曇りて寒き日なり
    九時頃目覚めて床の内にて一碗のシヨコラを啜り一片のクロワツサンを食し昨夜読残の『疑雨集』をよむ[11]
  7. ^
    昭和十九年
    十二月初三 快晴 日曜日
    老眼鏡のかけかへ一ッくらい用意し置かむと思ひて昼飯して後外出の支度する時警報発せられ砲声殷殷たり
    空しく家に留る
    晡下警報解除となる
    今日は余が六十六回目の誕生日なり
    この夏より漁色の楽しみ尽きたれば徒に長命を歎ずるのみ
    唯この二、三年来かきつづりし小説の草稿と大正六年以来の日誌二十余巻だけは世に残したしと手鞄に入れて枕頭に置くも思へば笑ふべき事なるべし
    夜半月佳し[12]
  8. ^
    昭和十一年
    二月廿六日
    朝九時頃より灰の如きこまかき雪降り来り見る見る中に積り行くなり
    ラヂオの放送も中止せらるべしと報ず
    余が家のほとりは唯降りしきる雪に埋れ平日よりも物音なく豆腐屋のラツパの声のみ物哀れに聞ゆるのみ
    市中騒擾の光景を見に行きたくは思へど降雪と寒気とを恐れ門を出でず
    風呂焚きて浴す[13]
  9. ^
    昭和十五年
    八月初一
    正午銀座に至り銀座食堂に飯す
    南京米にじやが芋をまぜたる飯を出す
    此日街頭にはぜいたくは敵だと書きし立札を出し愛国婦人連辻々に立ちて通行人に触書をわたす噂ありたれば其有様を見んと用事を兼ねて家を出でしなり
    今日の東京に果して奢侈贅沢と称するに足るべきものありや
    笑ふべきなり[14]
  10. ^
    昭和二十年
    三月九日 天気快晴
    夜半空襲あり
    翌暁四時わが偏奇館焼亡す
    余は枕元の窓火光を受けてあかるくなり鄰人の叫ぶ声のたゞならぬに驚き日誌及草稿を入れたる手革包を提げて庭に出たり
    近づきて家屋の焼け倒るゝを見定ること能はず
    唯火焰の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ
    是偏奇館楼上少からぬ蔵書の一時に燃るがためと知られたり[15]
  11. ^
    昭和二十年
    三月十日
    ああ余は着のみ着のまま家も蔵書もなき身とはなれるなり[16]
  12. ^
    昭和二十年
    八月十四日
    燈刻谷崎氏方より使の人釆り津山の町より牛肉を買ひたればすぐにお出ありたしと言ふ
    急ぎ小野旅館に至るに日本酒もまたあたゝめられたり
    細君下戸ならず 談話頗興あり[18]

    8月14日の夜、谷崎が牛肉を準備し、宿泊していた赤岩旅館で牛鍋を食べた[19]

  13. ^
    昭和二十年
    八月十五日 陰りて風凉し
    宿屋の朝飯 雞卵 玉葱味噌汁 はや つけ焼 茄子香の物なり
    これも今の世にては八百膳の料理を食するが如き心地なり
    飯後谷崎君の寓舎に至る
    鉄道乗車券は谷崎君の手にて既に訳もなく購ひ置かれたるを見る
    雑談する中汽車の時刻迫り来る
    再会を約し送られて共に裏道を歩み停車場に至り午前十一時二十分発の車に乗る
    新見駅にて乗替をなし 出発の際谷崎君夫人より贈られし弁当を食す
    白米のむすびに昆布佃煮及牛肉を添へたり
    欣喜措く能はず[20]
  14. ^
    昭和二十年
    八月二十日 晴
    午後突然轣轆たる車聲の近巷に起るをきく。怪しみて人に問ふに妙林寺の後丘松林深き處に洞窟あり。飛行機材料を隠匿せしが、武装解除となりし爲、日日これを岡山驛停車場に運搬するなり。之に依つて初て七月中旬機銃掃射の近巷に行はれし所以を知れり。予は萬死の中に一生を得たりしなり。
    薄暮後丘に怪鳥の鳴くを聞く。梟に似て梟にあらず。何の鳥なるを知らず。
    旅に出て きく鳥やみな 閑古鳥 — 荷風[21]
  15. ^
    昭和二十二年
    五月初三 雨
    米人の作りし日本新憲法今日より実施の由
    笑う可し[22]
  16. ^ 店名は「大黒」であるが、永井は「大黒」と繰り返し記している。大黒家では永井が毎回食していた並カツ丼、上新香、酒1合(菊正宗)を「荷風セット」として販売していたが、2017年6月を以って閉店した。現在は店内はほぼ末期のままで、建物の所有者である市進ホールディングスが運営する「大人の学び舎大黒家」として屋号を残している。なお浅草にも大黒家天麩羅があるが、荷風が通いつめて天ぷらソバやかしわ南蛮を食していたのは蕎麦処尾張屋のほう。
  17. ^
    昭和三十四年
    三月十五日 日曜日 晴
    正午 大黒屋食
    三月十六日 晴
    正午 大黒屋
    三月十七日 雨又陰
    正午 大黒屋
    三月十八日 晴
    正午 大黒屋食
    三月十九日 晴
    正午 大黒屋
    (……)
    四月廿九日 祭日 陰[23]
  18. ^ 「現代」で約3億円ほど[24]

出典

  1. ^ a b c d e 加太宏邦「荷風の周縁世界編制:銀行時代の荷風をめぐって」『法政大学多摩論集』第27巻、法政大学多摩論集編集委員会、2011年3月、 35-81頁、 doi:10.15002/00007418hdl:10114/6573ISSN 09112030NAID 120003221942
  2. ^ 『断腸亭日乗』1936年3月18日。
  3. ^ 『永井荷風 人と作品43』23頁
  4. ^ a b 永井荷風ブリタニカ国際大百科事典小項目事典
  5. ^ 秋庭太郎『考証 永井荷風』岩波書店
  6. ^ 『書かでもの記』(2009年版「全集 第13巻」岩波書店)。
  7. ^ 2009年版「全集 第9巻」岩波書店。
  8. ^ 巌谷小波『私の今昔物語』
  9. ^ 『荷風随筆集(下) 小説作法』岩波文庫。
  10. ^ 断腸亭日乗 1917年9月16日
  11. ^ 断腸亭日乗 1919年1月1日
  12. ^ 断腸亭日乗 1944年12月3日
  13. ^ 断腸亭日乗 1936年2月26日
  14. ^ 断腸亭日乗 1940年8月1日
  15. ^ 断腸亭日乗 1945年3月9日
  16. ^ 断腸亭日乗 1945年3月10日
  17. ^ 谷崎潤一郎:『疎開日記』、『谷崎潤一郎全集 第16巻』中央公論社(1982)所載。
  18. ^ 断腸亭日乗 1945年8月14日
  19. ^ a b 『断腸亭日乗』1947年7月 - 8月。
  20. ^ 断腸亭日乗 1945年8月15日
  21. ^ 断腸亭日乗 1945年8月20日
  22. ^ 断腸亭日乗 1947年5月3日
  23. ^ 断腸亭日乗 1947年3月15日ー4月29日
  24. ^ 関川夏央『やむを得ず早起き』小学館 2012年
  25. ^ 半藤一利『荷風さんの戦後』ちくま文庫。
  26. ^ 『断腸亭日乗』1937年6月22日。
  27. ^ 市川市名誉市民・市民栄誉賞”. 市川市. 2022年8月8日閲覧。
  28. ^ 『断腸亭日乗』1940年6月16日。
  29. ^ 消えゆく浅草の灯り 踊り子減り、小屋転業『朝日新聞』1969年(昭和44年)12月3日夕刊 3版 11面
  30. ^ 『バガボンド』(漂泊者)ー永井荷風の好色人生と野垂れ死考 ③生涯一人暮らし、娼婦、芸妓、女給20人以上と女性遍歴とは・・” (日本語). 前坂俊之オフィシャルウェブサイト. 2019年7月22日閲覧。
  31. ^ 『新潮日本文学アルバム 23 永井荷風』(略年譜)より。
  32. ^ 秋庭太郎『考証 永井荷風』
  33. ^ 永井氏系譜(武家家伝)
  34. ^ 秋庭太郎『考證 永井荷風』
  35. ^ 了願寺由緒沿革
  36. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』P.973
  37. ^ a b 根岸の女 : 九鬼周造と荷風小浜善信 研究年報 巻48 2012-03-23
  38. ^ 岩波書店、1971年 - 1974年版『荷風全集』第12巻巻末の、『後記』。
  39. ^ 柳永二郎 『木戸哀楽 新派九十年の歩み』、読売新聞社(1977年)ほかより。
  40. ^ YouTube『すみだ川』
  41. ^ M YouTube『渡り鳥いつ帰る』


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