鷲津貞二郎とは? わかりやすく解説

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鷲津貞二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/07 10:22 UTC 版)

右より兄壮吉(永井荷風)、母恆、父久一郎、弟威三郎、貞二郎

鷲津 貞二郎(わしづ ていじろう、1883年2月5日[1] - 1927年12月15日[2])は、日本基督教会牧師である。

1883年(明治16年)、東京小石川永井久一郎、恒の次男として生まれる。兄の永井壮吉は後の永井荷風である。母方の祖母と母はW・シュピンナー宣教師から受洗した普及福音教会の熱心な信徒であった。

母方の鷲津家の養子になる。東京専門学校(現・早稲田大学)を卒業して、三菱銀行本店に勤務する。1902年(明治35年)に洗礼を受ける。東京神学社で学び植村正久の薫陶を受ける。卒業後に、日本基督教会の牧師の按手礼を受け、1912年(明治45年)に山梨教会に、1914年(大正3年)に水戸教会、富士見町教会、明星教会(小石川明星教会)の牧師を歴任する。

脚注

  1. ^ 永井威三郎『風樹の年輪』俳句研究社、1968年、p.451。
  2. ^ 『現代文学大系 第17 (永井荷風集)』筑摩書房、1965年、p.474。

参考文献

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年



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