初恋の思い出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:35 UTC 版)
野口の初恋は、深谷高等小学校の在籍中であった。背の低かった野口は教室中央の前方に席があり、周りには女子児童が座っていた。その中に野口よりも成績の良い女子がおり、次第に憧れを抱くようになった。思いを伝えることなく学校を卒業し、野口は埼玉県師範学校へ、意中の女性は埼玉県女子師範学校へ進学し、路上ですれ違うことはあってもお互いにちらっと見るだけで声をかけることはなかった。 そんなある日、意を決して手紙を出し、返事は来たが父親に見られて叱られてしまい、以後音信不通となった。そしてスポーツに熱中することで次第に色恋沙汰への関心を失っていった。それから年月が過ぎ、1932年ロサンゼルスオリンピックの当日プログラムをNHKラジオで野口が解説する仕事をしていると、初恋の女性から「毎朝あなたの解説を聴いている。小学校時代のおもかげが偲ばれて懐かしい。」という内容の手紙が届いた。野口は小学校時代の美しいイメージのままにしておきたいとの気持ちから、その女性に会いに行くことはしなかった。 この初恋経験は、野口が順天堂大学で日本のスポーツ発達史を講義している途中に、テニスを通して皇太子(現・明仁上皇)と正田美智子(現・上皇后美智子)が親しくなった話をした時に、学生から野口自身の恋愛経験を問われて語っている。野口は、講義中に恋愛経験を語ることは、学生からすれば「授業の脱線」に思えるが、実は教師の持つ人生観と学生の考え方の接触を図る好機であるとし、「計算に入れての脱線」だと主張している。なお、豊子夫人との馴れ初めについてはノーコメントとしている。また『青年心理』という雑誌でも埼玉師範時代の思い出とともに初恋の経験を綴っているが、そこでは「語るに足るほどのものではないが、しかしわたくしとしては淡々としておりながらも想い出が深い。」と結んでいる。
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