同時代の証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 16:40 UTC 版)
当時における騎士団のバッジに対する複数の反応は、X十字はスコットランドの守護聖人の聖アンドリューの十字 (en) であるという不満が出た。しかしながら、現代の旗章学においては、青と白のデザインのみがそう呼ばれると認められている。1783年2月のある新聞は「アイルランド人の胸は血だらけの聖アンドリュー十字で飾られており、それはこの自然の島の守護聖人ではない。」と主張した。ほかの記事では「騎士団の星にいれられることによって、スコットランドの守護聖人聖アンドリューの十字は、アイルランドの聖パトリック騎士団に栄誉を授けることになる(中略)、これは常識的にも、そして国家の礼儀としても明らかな侮辱である」と主張した。 テンプル卿 (聖パトリック騎士団のデザインは彼に委任されていた) への公開状は、これを繰り返し、さらに細かくしている。 「 聖パトリックの祝日にアイルランド人が一般的に使う十字は末広がり十字である。これは中央は小さく、そして端に行くほど広がっており、端のほうはかなり広い。これがアイルランドの十字として記録されているわけではないが、これは古い時代からの伝統として指示されており、似たような慣習と同じように一般的には十分な権威として認められる・・・もう一方の人の盾紋章は名誉ある法 (それは前述のものよりずっと多いのだが) によって非常にみっともなく計算され、名誉をもっとも高い場所に運ぶべきである騎士団のエンブレムの十字は、もう一方の国の騎士団の長年の財産として認められているものなのだろうか?もし、私たちが一般的に着用するアイルランドへ結び付けられる聖人のエンブレムが、閣下に認めていただけないのなら、多くのほかの人は、スコットランドがとても長い間象徴とするものを取り入れるという、アイルランドをその不名誉な見解に放り込むということをせずに、そこから去ることを選ぶでしょう。 」 これに対して、ウォーターフォードからの1785年の新聞記事はこう書いている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}少なくとも40の船がわが港におり、ニューファンドランド島への食料を積み込んでいる。そのうち13隻あまりはわが国の船であり、それらは聖パトリック旗をつけている (その地は白で聖パトリック十字と1/4ほどのハープが配されている)。
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