同時代の記録と後代の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/21 15:15 UTC 版)
「マルタン・ゲール」の記事における「同時代の記録と後代の解釈」の解説
この事件を記録した同時代の文献としては、ギヨーム・ル・スールの『見事な物語』と、より広く知られた、トゥールーズの高等法院における裁判で裁判官のひとりであったジャン・ド・コラ(フランス語版)判事の『記念すべき逮捕』がある。 1982年のフランス映画『マルタン・ゲールの帰還』(Le Retour de Martin Guerre)に協力したプリンストン大学の歴史学教授ナタリー・ゼモン・デイヴィス(英語版)は1983年、この事件についての詳しい説明を盛り込んだ著書『帰ってきたマルタン・ゲール』を公刊した。デイヴィスは、ベルトランドは暗黙のうちに、あるいははっきりとした同意の上で、この詐欺に協力したのだ、と主張し、当時の社会の中でベルトランドには夫が必要であったし、アルノーは彼女に優しかったから、両者にとって都合が良かったのだと論じた。デイヴィスはこの議論の根拠として、女性が自分の夫を別人と間違えることは考えにくいと指摘し、裁判が始まるまで、また一部は裁判の最中においても、ベルトランドがアルノーの肩をもったことや、親密さを共有する話も事前に口裏を合わせたものであったとする考えを述べた。 歴史家ロバート・フィンレイはデイヴィスの結論を批判し、長く夫が不在であったベルトランドは(当時の大方の人々がそう信じ、裁判官もそう考えたように)まんまと騙されていたのだと主張した。デイヴィスは(自己決定を下す自立した女性という)現代における社会的格律を、歴史的事実の説明に当てはめようとしている、というのがフィンレイの考えであった。ベルトランドが、自らが姦通や偽証の罪を問われるリスクを冒してまで、詐欺に加担することは考えられない、とフィンレイは指摘した。 デイヴィスは、フィンレイの批判が掲載されたのと同じ1988年6月号の『The American Historical Review』誌に「On the Lame」と題した反論を載せた。
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