景浄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 04:50 UTC 版)
円照が編纂した仏典目録の『貞元新定釈教目録』巻第17に、インド僧般若三蔵が胡本(ソグド語版)の『大乗理趣六波羅蜜多経』を翻訳する際、「波斯僧景淨」の協力を仰いだとある。すなわち碑文を撰した景浄はペルシャ人であり、また般若三蔵と交流があった。804年末に長安に入った日本僧の空海がサンスクリット語を学んだのがこの般若三蔵であり、また空海の長安での住居西明寺や般若三蔵の醴泉寺は大秦寺に近いことから、空海が景教に触れた可能性は高い。なお、この『貞元録』は800年に徳宗へ上進されたほぼ同時代の証言であり、信用できる。空海の師・恵果を大秦景教流行中国碑に登場する「佶和」と同一人物とする説もあるが、この説は疑問視されている。
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