執筆態度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 02:30 UTC 版)
杜預は、本書の序文で杜預以前の諸家の解釈を以下のように評価している。 古から今まで、左氏春秋の義理を説くものは多い。今かれらの残した文献のうち、見ることのできるものは十余人の著作があるが、大体をいうと、たがいに祖述するのみで、経文の前後の表現の相違を比較検討し、その変わり具合を見極めることをなさず、かといって左丘明の解説(『左伝』)を守ることもない。……しかもまた、かわりに『公羊』『穀梁』の義説を皮相に引用し、『左伝』で通じないところを説明する。これでは自分から混乱させていると言ってよい。 — 杜預、『春秋経伝集解』序 次に、杜預は自分が新たに注釈を作る意図とその方法について、以下のように述べている。 私がいま、先儒と異なる説を立てる理由は、『左伝』を専一に研究し、それに基づいて経文を解釈する立場を取るからである。経文を貫くすじみちは、必ず『左伝』から導き出す。そして『左伝』に示される義例は、総じて「凡例」に帰結させ、「変例」を推し及ぼして是非善悪の評価を正しく下す。『公羊』と『穀梁』の二伝には選択を加え、正統でない説は採らない。思うにこれが左丘明の志であろう。 — 杜預、『春秋経伝集解』序 杜預は従来の『左伝』の注釈に対して不満を覚えており、自らの手で一貫して『左伝』に拠った新しい『春秋』解釈を作成しようと考え、本書を執筆した。ただ、実際には杜預は賈逵・服虔らの以前の注釈や、『爾雅』『説文解字』などの古来の訓詁を利用する箇所も非常に多く、従来の研究の蓄積を完全に無視したわけではない。
※この「執筆態度」の解説は、「春秋経伝集解」の解説の一部です。
「執筆態度」を含む「春秋経伝集解」の記事については、「春秋経伝集解」の概要を参照ください。
- 執筆態度のページへのリンク