仮面舞踏会

仮面舞踏会(かめんぶとうかい)は、仮面をつけ身分素性を隠して行われる舞踏会のこと。マスカレイド(英: masquerade)やバル・マスケ(仏: bal masqué)とも。起源は中世まで遡る。また音楽・文学ほか多数の作品に「仮面舞踏会」や「マスカレード」という題名が付けられている。
仮装行列と仮装舞踏会

仮面舞踏会は参加者が仮面などを身に着けて行われる舞踏会などのイベントである。こうした集まりの起源は、中世後期のヨーロッパ宮廷において行われた、寓話的で凝った衣裳による壮麗な行列や、婚礼を祝う誇らしげな行進や、その他宮廷生活における派手な催しや余興にある。代表的なものに仮装舞踏会 (モリスコ、morisco) がある。
仮装舞踏会を舞台にした有名な惨劇として、百年戦争期のフランス国王シャルル6世の時代に起こった「燃える人の舞踏会」("Le Bal des ardents")という事件がある。王妃イザボー・ド・バヴィエールは侍女の一人の婚礼を祝して1393年1月28日に大規模な仮装舞踏会を開催した。シャルル6世と5人の貴族は亜麻と松脂で体を覆い、毛むくじゃらの森の野蛮人に扮して互いを鎖で繋いで踊る "Bal des sauvages" (野蛮人の踊り)をしようとしたが、たいまつに近づきすぎて衣裳が燃え上がり、シャルル6世は助かったものの4人が焼死するという事件になった。シャルル6世はすでにイングランド軍に対する敗戦でショックを受けていたが、この後急速に精神を病むようになった(この事件はエドガー・アラン・ポーの短編小説『跳び蛙』の元になっている)。こうした仮装による舞踏会はブルゴーニュ公国の宮廷では特別の機会に行われるぜいたくな催しであった。
仮面舞踏会

これらのイベントや行進をもとに、15世紀のルネサンス期のイタリアで、参加者が仮装して出席する公的な祭典が催されるようになった(イタリア語ではマスケラータmascherataと呼ばれた)。これらは一般的に上流階級の成員のために行われる凝った舞踏会で、特にヴェネツィアでは、仮面をかぶって行われる「ヴェネツィアのカーニバル」の伝統と結びついたため人気を博した。
17世紀から18世紀にはヨーロッパ大陸全土の宮廷でヴェネツィア式仮面舞踏会は人気となった。あまりに人気を博しすぎたため、仮面舞踏会は風紀を乱す元凶であるとしてマリア・テレジアに代表されるように禁止令を出した人物もいた。また仮面舞踏会はしばしば悲劇の舞台にもなった。スウェーデン国王グスタフ3世は1792年、仮面舞踏会の最中に彼の統治に不満を抱く貴族ヤコブ・ヨハン・アンカーストレム (Jacob Johan Anckarström) によってピストルで暗殺された。この事件はウジェーヌ・スクリーブのオペラ『ギュスターヴ3世』や、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『仮面舞踏会』の題材となっている。

イギリスではヘンリー8世の時代から、上流階級の楽しみとして仮面舞踏会が催されるようになった。18世紀初頭にロンドンで行われた仮面舞踏会はチケット制で、武器を持たず仮面を付けていれば一般大衆でも参加できた。服装も自由であり、異性装や上流階級の人々による無産階級の扮装などが流行した。上流階級の人々には、階層ごとに定められている細かい対人規範や行儀作法があり、仮面舞踏会の最中には仮面による匿名性によってその抑圧から逸脱することができた[1]。ヘンリー・フィールディングの『仮面舞踏会』や、ジョセフ・アディソンの『スペクテイター』では、当時の仮面舞踏会の様子や羽目を外す人々の心理が描かれている。
大胆な内心の吐露や、公然と行われる密通など、仮面舞踏会には不謹慎な行為や淫行が蔓延していると批判する声も多かった[1]。 ヨハン・ヤーコプ・ハイデガーは1710年にヴェネツィア式の仮面舞踏会をロンドンのヘイマーケット・オペラハウスで開催した。ハイデガーは「スイスの伯爵」の名で有名人となり、18世紀のイギリスにおいて仮面舞踏会は大流行した。一方で仮面舞踏会やこれを紹介したハイデガーに対して、道徳や倫理を麻痺させるという厳しい非難が各界から浴びせられ反対運動も起こった。ウィリアム・ホガースは仮面舞踏会の隆盛やハイデガーを風刺する版画を出版しているほか、仮面舞踏会の存在に反対する物書きたち(その中にはヘンリー・フィールディングもいた)は、イギリス国内に反道徳性や「海外からの悪影響」を広めるものとして仮面舞踏会を批判している。彼らは権力者に対し仮面舞踏会反対の説得を行ったが、これを禁止するための手段の強制力は散漫なものにとどまった。
仮面舞踏会は招待客同士のゲームとして開催されることもあった。仮面をした客たちは正体が誰か分からないような服装をし、互いの正体を当てあうゲームを行った。このゲームの影響で、人物の正体を混乱させるためによりユーモラスに工夫された仮面が登場している。
仮面舞踏会は今日も世界中で行われているが、パーティーの雰囲気作りが強調され、社交ダンスの部分はあまり強調されなくなった。より砕けたハロウィンなどの仮装パーティーが、かつてのあやしい仮面舞踏会の伝統を受け継いでいる。現在に残る代表的な仮面舞踏会は、ウィーン大学の同窓生らによる舞踏会「ルドルフィーナ」 (Rudolfina Redoute) などである。
仮面舞踏会は非常に絵になる催しであるため、文学や音楽の題材となってきた。エドガー・アラン・ポーの短編『赤死病の仮面』では、赤死病という疫病を逃れて修道院に立てこもる貴族たちが開いた仮面舞踏会に、赤死病患者を思わせる不吉な仮面をかぶった人物が現れる。ヘルマン・ヘッセの自伝的小説『荒野のおおかみ』ではチューリッヒの仮面舞踏会が重要な舞台となる。また18世紀イギリスの上流階級を舞台にした多くのロマンス小説では、仮面舞踏会が舞台となったりプロットを進める上での道具になったりする。
仮面舞踏会 および マスカレードを題名にした作品
脚注
- ^ a b ロジャー・イーカーチ『失われた夜の歴史』 樋口幸子、片柳佐智子、三宅真砂子訳 インターシフト 2015年、ISBN 978-4-7726-9543-5 pp.314-319.
関連項目
外部リンク
- The Carnival of Venice - One of the most established Masquerade Events in the world. - est 1200?
- The LoJ Fantasy Masquerade Ball, an annual event heralded as a resurgence of artistic masquerades within North America -est 1997
- ベニスの仮面舞踏会を報じる1951年のニュース映像
- 『仮面舞踏会』 - コトバンク
- 『マスカレード』 - コトバンク
- 『マスカラード』 - コトバンク
- 『ファンシーボール』 - コトバンク
[仮装舞踏会(バル・マスケ)]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 09:25 UTC 版)
「紅世の徒」の記事における「[仮装舞踏会(バル・マスケ)]」の解説
盟主と三柱の強大なる“紅世の王”である『三柱臣(トリニティ)』を中心とした、世界最大規模の“紅世の徒”の組織。数千年前に結成され、他の大集団とは頭一つ二つ抜きん出た桁違いの規模の兵力を備え、一騎当千の実力を持った錚々たる顔ぶれの将帥らが数多く在籍している。 数千年前に盟主を失って以降は、情報交換と支援を本分として、他の組織と情勢分析のための会合を行ったり、構成員ではない“徒”の保護、フレイムヘイズを避けるための秘匿交通路の確保や、この世に跋扈する“徒”にこの世で暮らすための訓令を与えたり、彼らに仇なすフレイムヘイズやその外界宿(アウトロー)の殲滅を行うなど、この世の“徒”に対する互助共生を行っている。 そうした活動の裏で密かに、盟主が掲げた『大命』の成就を目的として活動し、『大命詩篇』と呼ばれる自在式を中核に数千年という年月をかけて準備してきた。『大命』の成就は、三つの段階に分けられている。 『大命詩篇』を用い、『久遠の陥穽』に放逐された盟主の意思を受信し思い通りに動く代行体を精製すること 『久遠の陥穽』へ通じる『神門』を開き、放逐された盟主の神体を取り戻すこと 盟主によって両界の狭間に新世界『無何有鏡(ザナドゥ)』を創り出し、全ての“紅世の徒”を移住させること 当初『大命』について公には伏せられ、構成員の多くは『大命』という言葉すら知らされていなかったが、第一段階である代行体による盟主の「仮の帰還」が為された際に構成員に布告された。また、新世界『無何有鏡』では“徒”が人間を捕食する必要がなくなること、この世と“紅世”の間に新世界『無何有鏡』が置かれれば“徒”がこの世へ渡る意義を失わせ、また“徒”がこの世へ渡るのを阻む壁となることから、坂井悠二の望みである「“徒”とフレイムヘイズの戦いを終わらせる」「家族や友人たちが“徒”に襲われずに済む」と合致し、シャナたちフレイムヘイズを支援していた彼を[仮装舞踏会]側に翻意させる大きな動機となった。 兵科としては『三柱臣』に加えて、戦闘を担当する巡回士(ヴァンデラー)、フレイムヘイズの捜索・追討や組織のための情報収集を担当する捜索猟兵(イエーガー)、組織の中枢と各地の捜索猟兵や巡回士らとの連絡を主任務とする布告官(ヘロルト)、本拠地を守る禁衛員(ヴァッフェ)などが存在する。通常、巡回士と捜索猟兵はペアを組んで任務を遂行する事が多い。 盟主を失った数千年前の一戦以降「主なしの組織」となり、一度として自ら武力闘争と呼ばれる程の戦いを仕掛けることはなかったが、『零時迷子』の発見以降は積極的かつ秘密裏に動き出し、『大命』の妨げになる世界各地の重要な外界宿を襲撃し、壊滅させ続けた。盟主が仮の帰還を果たした後、上海外界宿総本部での一大会戦にて東アジアのほぼ全てのフレイムヘイズごとこれを殲滅、事実上の宣戦布告をし、開戦状態となっていた。フレイムヘイズ兵団に大勝した後、両界の狭間への道を開くため、当時最も歪みが大きく狭間への壁が不安定になっていた御崎市へ襲来した。 そして御崎市決戦を経て、新世界の卵にシャナたちによって改変の自在式を打ち込まれたことによる「人を喰らえない」理を、結局は“祭礼の蛇”や“徒”たちも受け入れた為に、そのまま新世界『無何有鏡』は創造された。そしてベルペオルは、新世界での“徒”たちの動向を見定めるために[仮装舞踏会]を一旦散会させ、十年後に集結するように構成員たちに伝えた。 しかし、新世界『無何有鏡』では、新世界の事情に疎い新参の“徒”らが大規模な混乱をあちこちで引き起こしたため、かつて討ち手と契約した“王”を「同胞殺しとその道具」と蔑んでいた古参が、その「同胞殺し」を行ってでも止めなければならないという事態が発生していた。また、この時期には契約者を失った元討ち手の“王”ら『秩序派』が外界宿に合流し、新参の“徒”らは[マカベアの兄弟]をはじめとする組織を乱立させていた。この、後に『混沌期』と呼ばれる時期の、創造から数ヶ月の混乱を重く見たベルペオルは[仮装舞踏会]を再招集、構成員は二年弱の間に集結を果たした。現在は目下、[マカベアの兄弟]との抗争状態にある。
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